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おおきく振り込んで 第九章 「トランプ中編」

雀Key会メンバー達の仁義無き闘いはまだまだ続く! でんででんでん。

 

その2 ブラックジャック

 

ババ抜きが皆でわいわい楽しむトランプ遊びの王道であるならば、ギャンブルとしてのトランプ遊びの王道はブラックジャックであろう。ブラックジャックは公開されているカードから山に残っているカードを予測し、自分の手と合わせて押すか引くかを決めることが重要となる。この点は麻雀と非常に似ている。ただ麻雀と異なりブラックジャックにおける選択は極めて単調なものである。故にゲーム性が低いので、ギャンブルとして―即ちお金を賭けてやらなければ楽しくないと私は考える。(但し、一ゲームにかかる時間は麻雀より圧倒的に少ないため、単調な選択とはいえその選択の精度は長くやればもろに結果に反映される。この点で、麻雀より実力差が出ると言えるかもしれない)

 

よって、当然お金を賭けてやることとした。雀Key会はただわいわいとやることを良しとしないシビアな集団だ。と言っても、掛け金に上限がないととんでもないことになるし、下限がなければ不利な勝負は全部1円みたいな賭け方をされて興ざめとなる。よって、最初のベットの上限を500円、下限を100円とした。これで普段の麻雀以上に金が動くということもないだろうという読みである。

 

他のルールに関しては、一般的にカジノでプレイされているルールに準拠するものとした。

ルール参照http://www.bj-10jqka.com/  但し、ややこしいというのと、掛け金の最高額を1000円までに抑えるという理由で、再スプリット、スプリット後のダブルダウンはなし、滅多にやる機会のないインシュランスもなしである。

 

大量のトランプを使うのはかさばるので、使うデックは2組、ゲームが終わったとき山札の75%以上(つまり、104枚の75%で78枚以上)を使用したら山札を切り直す。ブラックジャックは親と子で有利不利が出る(ルールによって若干変わる)為、親は皆同じ回数だけやるものとする。

 

…この辺のルールを律儀に決めるのも雀Key会ならではである。然し、このままでは少し物足りないと感じたメンバー達は、何かオプションを付けようと考えた。そこで考案されたのが、”手役ボーナス”である。一般的なカジノでボーナスの付く手役と言えば、2枚で21になるブラックジャック(ナチュラル21とも呼ばれる、配当が1.5倍となる)くらいなものであるが、これらを更にマークが同じなら配当2倍、AJの組み合わせなら配当3倍、AJで更にマークも同じであれば…というように、2枚役の上位種を複数採用。他にも、777、678の3枚役(出づらいので配当は高目にしてある)。手札が6枚以上になっても21を超えなければ3倍等の枚数役を採用することとした。綺麗で難易度の高い手に役を付ける。まさに麻雀打ちがやりそうなルールである。棒テン即リーを基本とし無理に手役を狙わないタイプの私であるが、それでも難易度の高い役を和了ことには浪漫を感じる。麻雀と違ってブラックジャックは一ゲームにかかる時間も短い為、高い役同士がぶつかり合うようなシチュエーションも十分期待できる。親と子が共に役含みであれば配当が高い役の方が勝ち、通常親にはブラックジャック等のボーナスは付かないのであるが、子にばかり色々役があっては親がつまらないので、親も役を完成させた場合は同様にボーナスがつくこととした。2倍役で子全員に勝ちなら子からそれぞれ掛け金の2倍を得ることができる。実にエキサイトできそうなルール設定だ。

 

ボーナス役の採用は目論見通りとなった。これが実に楽しい。大物が見えているときの場のボルテージは高まるばかりである。このルールで行われるようになって間もなく、ブラックジャックはメンバー内で一番プレイされる頻度の高いゲームとなった。

 

とある日のこと、その日も麻雀の後でメンバー五人でブラックジャックに興じることとなった。その日の麻雀は余り大物手が出なかったのであるが、何故かブラックジャックではボーナス役がガンガン出来る展開であった。

 

私「最初の親でいきなり一枚目がA、これは貰ったな」

当然皆掛け金は100円、と思ったら何故かどらの奴は500円。ということは奴の手もまたAなのであろう。

ど「2枚目ドロー、またAだからスプリット。掛け金さらに500…よっしゃ!どっちも2枚役!しかも2倍役と3倍役!」

「…マジッすか?」 これだけでいきなり2500円の損害。つかん。

 

次のゲームは枚数役が熱かった。まずいきなり天野が6枚引いて3倍役を完成。そしてなんとTも6枚引いて3倍役を完成…と思ったら、7枚役は10倍、8枚役は50倍と書かれた手役表に釣られたのか、普段はチキンのくせに、「限界までいく、倍プッシュだ!」とまるでアカギみたいなことをほざいている。結果は書くまでもない。ぐにゃー。…大体もう一人6枚引いてる奴がいるんだから、数の小さいカードは余り山に残っていないと読めたはずである。こんなカッコ悪いアカギは見たことがない。ニセアカギ以下である。

 

その後も手役以外でも、2枚で19,20等の好ハンドがどんどん出る展開であった。そして山札も少なくなる。そろそろシャッフル時かと思われたが、数えてみると残り27枚。ギリギリで次のゲームまでこのままで行われることとなった。親は真琴である。

 

一般的にデックの枚数が少なくなれば少なくなるほどカウンティングがし易くなって子が有利となる、しかも真琴の今回の一枚目のカードはハートの6。6というのはバースト(ブタ)を引き起こしやすく手役にも絡みにくい弱いハンドだ。こちらはスペードのJ。迷うことなく最高額の500円をベットする。そうすると他の面子も全員500円だ。子方は皆強いハンドのようだ。

 

力を込めて二枚目をドローする。…何と、こんなとこに居よったか。一際大きいスペードのマーク。最強の2枚役、純正ブラックジャック(5倍役)の完成である。今日は本当に大物が飛び交う日である。残りの子方も全員2枚でストップ。手役は入ってなくとも少なくとも17以上だろう、6で勝てる可能性は低い。

 

ま「あうう。真琴を皆でよってたかって苛める気?」

私「そりゃあそんなゴミハンド見せられたらなあ」

ま「ふん。ゴミも拾えば宝なのよぅ」

 

…何か勝負師伝説哲也に出てきた盲目のおっさんのような台詞を吐いている。残念ながら、ゴミは拾ってもやはりゴミなのだ。仮にその手からうまい具合に21になったとしても、こちらに5倍役が入っている以上大敗は免れない・。どんなに不利な勝負でも受けなくてはいけない親がここで回ってくる自分の不幸を呪うしかないのだ真琴。

 

…と、余裕をこいていたのだが、ふとこれまでも試合展開を思い出してみる。派手な手の連発であった。ブラックジャックや2枚で19,20が連発したせいで絵札や10等の大きい数字は大量に消費された。そして一ゲームに6枚役を二人完成させる(約一名自爆したが)という珍事件が起こったため小さい数字も殆ど残っていない。27枚の状態から今9枚引かれたので山には18枚。しかも9枚のうちの半分は10以上であることも判る…ということはあの山には中くらいの数字―6や7や8がごっそり眠っているということではないのか?

 

6や7はブラックジャックにおいては一番使いづらいところである。麻雀で言えば字牌のようなものである。だが字牌はかき集めれば超大物手にも成り得る。とはいえ、通常の場ではやはり字牌から先に切られるのが普通である。…だが、非常と呼べる状況下では別っ!この場はまさに異常っ!麻雀で字牌が異様に高い場があるように、この場は6,7が奇妙なくらい激高っ!序盤の大物手連発という異常事態がさらなる異常事態を引き起こしているっ!ざわっ!ざわっ!

 

嫌な予感が襲う、とは言っても、それでもまだまだ確率的に有利なのは理解している。だが親なのは

何故か肝心なところで大物手を引き和了る役満大好き娘の真琴なのだ。。

 

「やったぁ♪」 …見事に予感的中。真琴のハンドは678と綺麗に並んでいる。しかもあろうことか全部ハートである。通常の678は5倍役、全部マークが同じ678と777は同難易度で20倍に設定してある。正直なところ、これでも余り割に合ってないと考えていた。子で最初の数が6や7だった場合。基本不利だから掛け金はどうしても安くなるから、出来ても大した収入にはならなくなるからである。然し、親となれば話は別!逆に子が有利と判断して大金を掛けてくるのであるから。。

 

親の総取り。これがインフレルールの恐ろしさ。インフレルールの親はリスクが高くて自ら進んで受けることを躊躇いがちになるが、ずっと続けていれば確実に勝ち分が増えていくのである。麻雀でもずっと親のままならいいのにといつでも思う。

 

さて、しめて1万円オールである。って、小銭のやりとりをする筈なのにそんな大金を持ち合わせているわけないぢゃないか。こちとら最近出費がかさんでぴーぴーなんだ。

 

…というわけで、私は自分の妹相手に借用書を書くという、世にも珍しい恥ずかしいことをやることと相成ったのである。兄の威厳、まるでなし。

 

 

 

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おおきく振り込んで 第八章 「トランプ前編」

前回書いたように、雀Key会のメンバーは麻雀以外のゲームもよくやる。特に多いのがトランプ遊びである。麻雀と違って五人以上でもできるので、抜け番になる人が出ずに済む、遊び方のバリエーションが豊富というのが特に遊ばれる理由である。トランプと言えば皆で集まってわいわい楽しくやるものというのが相場であろう。然し、ただわいわいやればいいなどとは決して考えないのが雀Keyのメンバーである。そんな連中が集まった結果として、遊び場は魂と魂がぶつかり合う戦場と化すのである。

 

例えば大富豪、皆でわいわい楽しむ程度のレベルであれば、精々ジョーカーや2が何枚出たかを覚えるくらいしかやらないだろう。だが我々クラスとなると絵札までは最低覚えておかないと太刀打ちできず、手順ミスが即敗北につながる非常にシビアなゲームへと様変わりする。一時期、「大富豪何切る問題」を自ら作成するほどはまっていたが、これについて語りだすと冗長かつマニアックな話になるので割愛。今回は他のトランプ遊びをしている時に起こった、特に印象深かった出来事について書くことにする。

 

その1 ババ抜き

 

ババ抜きは基本的に何の戦略性もないただの運ゲーである。だから余り行われないのだが、たまには何も考えずにできるゲームをやりたくなることもある。長時間麻雀に打ち込んで疲れている時なんかは特にそうだ。その日も丁度そんな気分であった。いつもと変わらずトランプに興じるメンバー達。ただその日は一つだけいつもと違ったのは、五人(私、T、どら、天野、真琴)に加え珍しく会長もゲームに参加しているということであった。

 

何ゲームかした頃に、どらが一旦休憩しようと言い出した、かくしてゲームは一時中断。どらは私達を集めて、こう話を切り出した。

 

ど「おい、何か異変を感じないか」

私「何のことだ?」

ど「会長の手札だけ毎回異様に少なくね?」

私「…そういえば。。」

 

思い出してみる。会長は未だに一度も負けがない。半分くらいはトップ通過、そして四枚より多く手札を持っていた覚えがない。というか、カードを配っているのは会長である。

 

今でこそ全自動卓が普及しているが、会長の裏プロ時代は当然雀荘も手積みであった。ゲームとしての技術を磨くことよりも、イカサマの技術を磨くことが重要視された時代。会長は、「牌の魔術師」の異名を持つ玄人であった。一線を退いた今でも会長の牌捌きは見入ってしまうほど鮮やかだ。136枚の牌を自由自在に操ることのできる会長にとって、たった53枚のトランプを扱うことなどいとも簡単なことに違いない。

 

T「でも、会長のイカサマを見破るなんて僕たちには無理だと思うよ」

私「まあそうだろうな」

ど「山札を切って配るまで、全部俺たちだけでやるくらいしかないだろうな」

天「それでは面白くありません。何事も面白くが雀Key会のモットーです。ここは敢えて、目には目を、イカサマにはイカサマをでどうでしょうか」

ま「あうう。会長相手にそんなこと出来るわけないじゃない!言ってることが無茶苦茶よぅ!」

 

確かに、天野はたまに突然変なことを言い出したりする。然し奴ほど冷静な人間もそういない。今回も何か案があってのことなのだろう。

 

天「一つ作戦を思いつきました」

 

…やはり案はあるらしい。自然と皆静かになって天野の話に耳を傾ける。

 

天「そんなに難しいことではありません。通しを使って会長の右隣の人にババを集めるのです、確実とは言えませんが」

 

…何と、そんな方法があったとは。私も方法を少し考えてはみたが、会長に特定のカードを意図的に引かせることが不可能な以上どうやっても無理と結論づけてしまった。やはり天野の分析能力には驚かされる。

 

と、いうわけで、五人は通しの練習をすることとなった、とは言っても実に簡単なものである。ババを持っている場合はババを少し上にずらしてカードを持つだけである。通常の通しと違い、ババの位置さえ判ればよいというのもこの作戦の優秀なところだ、ババを引かされるとすぐに表情に出るTや真琴が通しの最中に不自然な動作をしてしまわないかと少し不安になったが、どうやらその心配もなさそうだ。…さあ、ゲームを再開しよう。

 

改めて席決めをする。会長の右隣に座るのはT。おおTよすまない。お前の犠牲は決して無駄にはしないぞ!私は会長の左、そこから時計回りにどら、天野、真琴の順で並ぶ。

 

さて、ババは誰が持っているだろうか。おや?誰もババを持っているという合図を出さない。ということはババの持ち主は会長であるようだ。意外である、ババを敢えて避けるというようなことはやってないのだろう。だが会長の手札は相変わらず少なく残り三枚である。…案の定会長から一発目に掴まされた。私は合図を送る―ミッションスタート!

 

次から次へと流れるように渡っていくババ、間もなくTの手札に移る。そのカードの動きは一種の美しささえ感じさせる。とりあえず作戦は順調にいったようだ、だがまだ問題は残る、結局Tが会長にババをうまく引かせることができなければ、会長が時期にあがってしまうということである。このミッションばかりは完全に運否天賦である。

 

然し何とTは一発で会長にババを引かせることに成功した。でかしたぞ! もう会長のハンドのどれがババか判っているからもうババを引く心配はない、会長の手持ちは少ないから、少々並び替えをされても判別つく。判別がつかないほどに並び替えをされれば話は別だが、まだ全員残っているのにそんな不自然な並び替えをしたら全員にババを持っていることがばれるので損である(だからババ抜きをするときは、手の内に関わらず常に並び替えの作業を続けることをお勧めする)。

 

こうして残りのメンバーは次々とあがり、残ったのはTと会長の二人だけとなった、最後のミッション、会長とサシ勝負である。心理戦にも長けている会長にTが勝つのは困難と思われたが、何とここでもTが連続で数字を引き当てて勝利する。会長が参ったなあという顔をしている。ミッションコンプリート!

 

会長「いやあ。初めてラスを引かされたよ、然し珍しいことも起こるもんだな」

私「確かに会長がラスとは珍しいですね」

会長「いや、そのことじゃないんだ。最初私がババを持っていたんだが、それを一発目に君が持っていった、ところが次にT君からカードを引いたら、何と出ていった筈のババがまた戻ってきたというのだ。その巡目に全員が全員相手の手札からババを引いたというわけだ。これは天文学的確率だ!」

私「あ」

会長「いやいや、実に愉快なことだ。ではこの辺で私は帰らせていただくよ」

 

一見うまくいったように見えたが、まだまだ我々は甘かった。会長は確実に気づいている、否、気づいているというレベルではない。最初の会長の手札にババがあったのは何故か。それはババが一巡で一周するという天文学的確率な事象を引き起こさせて、こちらが確かに策を使っていることを確認するためにわざと会長が自分の手の内に仕込んだのだ。イカサマを使う前から会長には全てお見通しだったのである。何とも恐るべき人だと、私は改めて痛感するのであった。。

 

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おおきく振り込んで 第七章 「ルール」

雀Key会は雀荘「鍵の音」を拠点とする麻雀狂いの集団である。と言っても麻雀ばかりしているわけではなく、たまには他のゲームもやる。麻雀に限らず連中と遊んでいるのは実に楽しい。それは彼らがただ面白い奴等だからというだけではない。雀Key会の掟「何事もまず第一に楽しむことが大事である。そしてその為には、合理的なルールの整備が必須である」これを全員が深く認識しているからでもある。

 

私は小さいころ、友達と遊ぶということを滅多にしなかった。理由は簡単、一人でTVゲームでもしている方がよっぽど楽しかったからである。「ゲームばかりしないで外で友達と一緒に遊びなさい」と大人達が何度言っても聞く耳を持つ気にもならなかった。

 

TVゲームはプログラム上で厳密なルールが定められていて、裏技でも使わない限り、何人たりともそのルールを破ることができない。だからこそゲームは面白くできているのだ。裏技を使うと大抵の場合ゲームバランスが著しく崩れてしまい、実につまらないことになってしまう。

 

彼らは合理的なルールを整備することを面倒くさがって決してやろうとしない。その結果彼らのやる遊びというのは極めてゲーム性が低くて退屈であったり、ルール無用の理不尽なものであったり、ルールの隙を突くことで簡単にゲームバランスが崩壊するものであったのだ。

 

例えば三目並べ。3×3の升目に○と×を交互に書いていって、縦横斜めいずれか一列に○か×を並べれば勝ちというものである。一度はやったことのある人も多いのではないだろうか。 実はこれ、少し考えればすぐに気がつくことであるが、互いに最善を尽くせば必ず引き分けになる。実に底が浅くてつまらない。ではどうすれば面白くなるか。何のことはない。普通の五目並べをすればいいだけである。一段目以外は下に○か×がないと○×を置くことができない通称重力四目並べもなかなか面白い。

 

…だが恐るべきことに、このものの数分で結論が出てしまう退屈な遊びは、何度となく何年も続けられるのであった。。

 

例えばすごろく。そもそもすごろくは完全に運の要素しかない(バックギャモンは別)のでゲーム性も何もあったものではないが、それは置いておこう。私がたまたまついていて6を連続して出したりすると、ずるいから振り直せと言ってきたりする。彼らは6が連続して出ることより、自分たちの都合の良いように勝手にルールを捻じ曲げることのほうが遥かに理不尽であることに気付かない。

 

このようなことは室内競技に留まらない。小学校の体育の授業。小学校時代にやるスポーツはルールを厳格に適用しない。誰が見てもはっきりわかる基本的な反則をとるくらいである。

 

サッカーをやっていてふと思った。これって相手のゴールの前で待ち伏せしていてら来たボールを即シュートできて強くね?これで僕もハットトリック王だ!やったね

 

…勿論そんなわけもなく、サッカーにはオフサイドというルールが存在することを、中学の体育の授業で学ぶことになる。

 

バスケをやっていてふと思った。これって一旦リードしたら仲間内でボール回していれば強くね?これで僕も未来のマイケル=ジョーダンだ!やったね!

 

…勿論そんなわけもなく、バスケには3秒ルール、5秒ルール、8秒ルール、24秒ルール等が存在することを(ry

 

このように、皆で何かをして遊ぶことのつまらなさに日々感じていたのであるが、それを更に決定付けてしまう出来事が起こる。それは運動会の日のことであった。

 

小学校の運動会は1〜4組がそれぞれの4組に分かれて競い合う。最後の競技は騎馬戦。まだどの組にも優勝の目が残っており、事実上騎馬戦を制した組が優勝の栄冠を勝ち取ることとなる。

 

騎馬戦は4組同時に行う、残った騎馬の数が多い組が勝ちとなるが、副団長は2点、団長は3点扱いとなる。自分は赤組。団結心など欠片も持ち合わせていなかったが、それでも自分の組が勝ったほうが良いに決まっている。せめて自分の騎馬だけは生き残れるよう全力を尽くそうとこの時ばかりは思った。

 

…然し試合開始直後、私は自分の組の負けを確信することになる。あろうことか自分の組の団長が自ら青組の団長目がけて突っ込んでいったのだ。青組の団長は学年で一番体が大きく力も強い。まともにぶつかり合っては勝ち目がない。例え勝算があったとしても、団長自ら突進していくのは賢明ではない。1点の騎馬団で集中攻撃すれば、青組の団長とて一筋縄ではいかないだろうし、こちらの被害も少なくて済むのである。 案の定、返り討ちにあって倒された。私はすっかり戦意を喪失してしまい、次に我に返ったときには自分達の騎馬もやられていた。

 

だが勝負に勝ったのは、団長同士の直接対決を制した青組ではなかった。普段なら気付いていただろうが、運動会など正直どうでもいいと投げやりだった私はそもそも考える由も無かった…この騎馬戦というゲームが抱える致命的な構造的欠陥を!

 

勝者は黄色組。黄色組は団長含め殆どの騎馬が生き残っていた。一体何をしたというのだ…何のことはない、彼らは何もしていない。ただ他の三つの組がそれぞれ潰しあうのを傍観していただけであった。四組いるから敵の数は三倍である。向かっていけばやられる公算の方が高い。しかも相手を一体倒すのと自分達が倒されることとが等価でない。他の三組の騎馬をそれぞれ一体ずつ倒してやっと釣り合うのだ。つまり、攻撃に回るより守備に回ったほうが明らかに有利なルールだったのである。二組ずつ競い合うトーナメント形式にするか、相手の騎馬を倒して奪った帽子を加点するルールにでもすれば良かった。実際、三組以上が一斉にやる騎馬戦など、私は他に知らない。

 

勝ち負けを競うゲームは何でも、攻撃と守備のバランスが取れて初めて面白いものとなる。上に挙げたルールがなければ、サッカーは攻撃側が余りに有利になり、バスケは守備側が圧倒的に有利になる。異常に強い攻撃手段がある場合はそればかりやっていればよくなるのでゲームがつまらなくなるし、守備側が圧倒的に有利であれば、自分からは何もしないのが最適戦略になり、互いに何もしなくなるのでゲーム自体が成り立たなくなってしまう。麻雀は先攻した方が圧倒的に強いゲームではあるが、ランダム要素がある為、毎回先攻できるわけではなく、毎回同じ手段で攻撃できるわけではない。そして先攻されたときに如何に失点を最小限に抑えるかという技術もある。このようなゲーム性故に、麻雀も攻撃と守備のバランスが取れたゲームであると言えるのだ。

 

…結局優勝の栄冠を勝ち取ったのは黄色組で、赤組はドベであった。これだけなら別によかった。問題はその後のクラス内での会話だった。

 

「負けたのは悔しいけど、皆頑張ったから仕方ない」 そんな凡庸な発言を先生も含め誰もが繰り返す。…いい加減飽きた、そんな言葉は聞きたくない。そしてそのうち、黄色組はずるい、卑怯だなどと言う輩も出てくる。…何が卑怯なものか。お前らはルールを利用する頭も持ち合わせていなければ、いざとなったら自分の都合のいいようにルールを変えてしまう愚昧な人間だろうが!

 

…それ以来、ただでさえ少なかった人との交流は無くなった。私は当時通っていた塾の勉強に専念することにした。地元の学校に進学することだけは、何よりも避けねばならなかったからだ。

 

それから数年、一応世間では名門と呼ばれる大学に進学したは良かったが、特にやりたいことも見つからず暇な学生生活を送っていた頃、同輩の天野から、自分がメンバーをやっている雀荘に遊びにこないかと誘われた。当時雀荘はセットでたまに行くくらいだった私の中での雀荘のイメージは、マナーの悪い親父がいるうえに、とっつきにくいややこしい決まりごとがたくさんあって一見の人間が入りづらい所というものであった。

 

「鍵の音」は、そんな私の抱いていた雀荘への悪いイメージを一新させてくれた。初心者でも安心なアットホームな環境である一方、先ヅモ、三味線等の行為は禁止とはっきり明示されていた。メンバーの打牌制限も特に無かった。「トラブルの元となるややこしいルールは不要、ルールは楽しむ為のもの。それがうちのモットー。いつも会長がおっしゃいます」 そんなことを天野が話していた。

 

…私はここが本当に好きになった。ここが私の居場所だ。

 

雀Key会語録「ルールは縛られる為にあるのではない。楽しむ為にあるのだ。」

 

 

 

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おおきく振り込んで 第六章 「対子場」

「…悪い悪い。ちと取り乱してしまった。ところでこの問題、お前なら何を切る?」 私は真琴に聞いてみることにした。

 

「んー、6p!」

「やっぱり真琴は七対子狙いか。ところで七対子を狙うとして、6pを切るのは何故かな」

「マンズが安いし、あと667mと持ってるから、何となく7m引けそうなの」

「それ、対子理論って奴だな」

「うん、きっと対子マスターなら6p切ると思うの」

 

…ちなみにその対子マスターこと土田浩翔氏が選んだのは打7mである。氏曰く、捨て牌に頼らず、山を読まずという持論の為とのことだ。驚いた、対子マスターは山など読んでいないというのだ。初耳である。読むのではなく感じろということなのだろうか。ただ、67pもそんなに重なりやすいわけではないそうだ。なら別に7m残しても良くねと突込みが入りそうだが、深遠なる対子世界にはそのような屁理屈は野暮というものなのだろうか。

 

「あうう。つっちーは言ってることが無茶苦茶よ!」

「まあつっちーはいつもこんな感じだから、真面目に受け取ることはないさ」

 

ちなみに私は順子手好きの対子手嫌い。妹とは真逆である。今日も七対子の単騎選択ミスを何回もやらかした。麻雀を打っていて、これほど苛々させられることもない。

 

だが、七対子が麻雀の中で重要な存在であることも事実である。七対子が強いのは、裏ドラが乗ったときは必ず2枚単位で乗ることや、単騎待ちなので自在に待ちを変化させて直撃が狙える等もあるが、何といっても一番はどんな手からでも和了できる可能性があるというこだ。どんな配牌も七対子の6シャンテン以下なので、子であれば常に一段目でリーチが打てる可能性があるということである。

 

昔某麻雀ゲームソフトでどうしてもCPUに勝てない時に使った手口がある。このゲーム、対局を途中中断すると中断した局の配牌の時点から再開される。つまり、ツモ牌を予め判った状態で再びプレイすることができるのだ。この状態における七対子はすこぶる強い、捨て牌と合わせて対子が7組できることは日常茶飯事であるので、ツモ牌がわからなければ誰にも和了できない手からリーチ一発ツモ七対子を易々とアガることが可能なのである。まさに神の領域である。

 

順子手の手作りの差というのは、ある程度のレベルまでくると然程変わらなくなる。だが対子手は手作りするうえでのヒントが少ないため、他の打ち手との差を圧倒的につけることも理論上可能であるということだ。神の領域は不可能であるとしても、実力を向上させる余地がまだいくらでもあるのは間違いない。…そう考えたら私も対子理論を学びたくなってきた。どうせオカルトじみたものだから余りアテにはならないだろうが、ほぼ七対一択の手や、面子手の和了が非常に困難な手、跳満ツモ条件で可能性がリーヅモ七対子ドラドラくらいしか見当たらない場合に対子理論を用いるのであれば、用いたからといって戦績が下がるということもないだろう。よし、ダメもとで試してみるとするか。

 

「そういや真琴、対子理論について書かれた本を何か持ってたよな」

「うん、漫画だったら何冊かある」

「ちょっと貸してくれないか。まあネタ作りの為さ」

「うん、じゃあ持ってくる」

 

そう言って真琴は自分の部屋から何冊か本を持ってきた。さて、読んでみるとしよう、果たして対子理論とはどのようなものであろうか。

 

…何何、変なおっさんが、七対子こそ麻雀の本質だと言っているぞ。一つの手役が麻雀の本質というのも奇妙な話であるが、その辺は言葉のアヤというもの、ちょっとカッコイイから本質と使ってみたというとこだろうから置いておこう。読み進めてみる。ふむふむ、タンヤオに使える牌は21種84枚である。チャンタに使える牌は25種100枚である。(どうせ4倍なんだから何種何枚書かんでええやんというのも敢えて突っ込むまい) 一方七対子は34種136枚全ての牌を使うことができるこれが七対子が麻雀の本質である理由だそうだ。何となく納得した気がしないでもない。(待て、その理屈が正しいなら三カンツも麻雀の本質になるぞ

 

…何か早くも折れそうになってきているが、挫けずに読み進めていくことにする。 「だから対子場を制するものが麻雀を制するのである」…何か話が思いっきり飛躍している気がするが、ここはスルーするのが大人ってものだろう。対子場とは何ぞや。それは字の如く対子が出来やすい場のことである。これは言われなくても判る。では、どんな時に対子場と判断すれば良いのだろうか。

 

対子場を見極める方法、これは別の本に乗っていた。序盤で被った対子が2、3種以上あれば対子場とみなすべきと書いてある。残りの山に他の牌が多く残っている為に対子になりやすいからだそうだ。これは判らなくもない。極端な例を考えれば判り易い。麻雀牌が仮にA牌とB牌の2種しかなく、Aが河に大量に並べられたとするなら、必然的にBが固まって山にあることになるので、Bを連続して引きやすくなるわけだ。 対子場を見極める方法としてもう一つ挙げられていたのは、2233のような連対子、2244のような飛び対子、2255のような筋対子の存在である。このような対子が固まっていると、必然的に順子が出来にくくなるので、対子場になるらしい。これもまあ判る。…おや?ここで一つ疑問が湧いてきた。

 

「なあ真琴」

「何お兄ちゃん?」

「ここの対子理論の内容についてなんだが、これ、順子ができにくい対子場だから、連対子とかが出来やすいと、逆の解釈をしても問題ないよな?」

「うん。さっき667mとあったら7mが重なりそうと考えたんだから、大丈夫だと思うの」

 

…成る程、と、いうことはこの対子理論が仮に正しいとした場合、次のようなことが予測される。

 

「じゃあ、序盤の被り対子が多数見受けられたので、対子場だと判断できたとする。そして、手の内には5の対子がある。こう仮定しよう」

「うん、それで?」  私は話を続けた。

 

「連対子が出来やすいことより、4と6は対子になりやすい」

 

「次に飛び対子が出来やすいことより、3と7も対子になりやすい」

 

「更に筋対子が出来やすいことにより、2と8も対子になりやすい」

 

「そして最後に、雀鬼会ショーちゃんの本によると、1と9は準対子牌(字牌が対子牌)なので、対子場のときは対子になりやすい」

 

「……」「……」

 

「同じ色の牌全部じゃねえかぁぁぁぁぁぁ!」

 

「いや待て、つまりこれはこういうことだ、同色の牌全て引きやすくなる、故に対子場は一色場でもあったのだ!おおこれは世紀の大発見だ!早速麻雀学会に報告だ!」

 

「…そんな学会、初めて聞いたよ。。」

 

「さっきの牌姿ならこういうことが言える。445567788s。ここに注目。なんと連対子が4455と7788で2種、飛び対子が5577の1種、筋対子が4477と5588の2種。なんと計5種も対子場シグナルが存在している。まさに超対子場!先ほどの理論から対子場は一色場でもある。つまりこの手、ここからソーズをバリバリ引いてくるに違いない。6sなんか今にも引きそうだ!これぞ対子システム!」

 

「故にこの手はうまくいけばここまで伸びる! 22334455667788s ソーズだから大車輪ではなく大竹林だ! 何、そんなローカル役満認められてないと。じゃあメンチンタンピン二盃口ドラドラ…あ、それでも役満だ!対子王国へようこそ!」

 

「脱衣麻雀じゃないんだからそんなに引くわけないじゃん。。」

 

「お、真琴も脱衣麻雀やるのか?」

 

「そんなのやるわけないでしょ!」

 

「やってみると面白いぞ、デフォで一色場と対子場仕様だから興奮するんだ」

 

「やれない!やらない!やれるかあ!11111」(三段活用)

 

おっといけない、少し暴走してしまったようだ、でもこうやって真琴をからかうのは楽しい。持つべきものは可愛い妹である。ゴホゴホ、け、決して私はシスコンでもシステム厨でもないぞ、システマチックな麻雀打ちだぞ。

 

「だけどさ、もしこんな対子システムが実際にあったらいいと思わないか。システム駆使して連戦連勝、ド派手な役アガリまくって優勝。ギャラリーから拍手喝采。ギャラも一杯一杯。麻雀プロの地位赤丸急上昇ってわけだ」

 

「それはそうかもね。でも真琴は可愛くて麻雀強いから、人気女流プロとして大活躍してお金一杯貰うもん。お兄ちゃんみたいなニート予備軍とは違うのよぅ」

 

「あ、言ったな。コラ、待て!」

 

…こんなくだらない兄妹喧嘩ができるのも幸せなことかもしれない。結局、人間は神にはなれないのだ。出来ることといえば、精々他家の河から山に残ってそうな牌を予測して重なりを狙う地道な作業だ。当たるも八卦当たらぬも八卦。山読みの精度が向上したかを確認するには、長いスパンで見た戦績から推測するより他ないが、それですら不確かだ。あとは、気紛れな麻雀の神様に願掛けをするくらいだろう。

 

単騎選択で失敗しませんように。そして裏ドラが2枚のりますように。今日も対子王国の歌を歌う。

 

「交渉〜高尚〜考証口承工商♪ 公称〜鉱床〜厚相哄笑行賞♪」

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おおきく振り込んで 第五章 「七対子」

夏休み。普段から暇な学生が更に暇を持て余す時期である。私ネオマタもその典型的なダメ学生の一人、今日も雀荘に顔を出した後自宅でPCに齧り付いている。

 

今ネタ探しも兼ねて何切る問題をやっているところである。トンパツの西家で6巡目である。

 

667m67p445567788s ドラ3s 元ネタはここhttp://www.e-heartland.co.jp/nani_kiru/2007/07/graph.html

 

タンヤオ七対のイーシャンテンである。普通、七対のイーシャンテンに取れるのなら、面子手狙いが相当強くない限りは取るべきである。だがこれはどうだ。面子手狙いであればタンピンに一盃口、そして567と678の三色がある。また、全ての赤5引きに対応できる。まさに、様々な(現実的である)可能性(※第一章参照)を秘めた手である。この手を2シャン戻しをせずにどんな手で戻すというのだろうか。

 

と、いうわけで七対のシャンテンには取らない。となると何を切るか。6mを切ると先にソーズを引いたとき遊び牌が出来る。ソーズから切れば667mの形が残って完全イーシャンテンになる。ではソーズで何を切るかになるが、受けが最も多いのは4sか8sで、36sツモ時に三色目が残る4sの方が強い、4sを切るとソーズを縦に引いた場合(78sツモ)三色目が消えるというデメリットがあるが、36sの方を引く確率が高いのだから前者を優先すべきなのは言うまででもない。

 

ククク、完璧だ、完璧過ぎる。精密な理論派雀士の私にかかれば、こんな何切る問題など朝飯前なのだ。おっと、朝飯どころか昼飯も食ってなかったりするぞ。この問題には多くの回答が寄せられており、回答構成の比率がグラフで示されている。さあ、打4sはどれだけの支持率を集めたのであろうか。

 

打4s…3.6%

 

…ちなみに、打5sと打8sは誰も選択しておらず(打6sはいるのにw)、打4sは選択された打牌の中で最低の支持率である。まるで選挙に出馬したはいいが一つも議席を得られなかった野党である。

 

「…なんでやーっ!」 私は思わずリアルに大声で叫んでしまった!

 

 

「あうう、お兄ちゃんうるさい。。」

 

おっと、いけないいけない。家には私一人で居るわけではなかった。声の主は真琴。私の妹である。麻雀バカの兄の悪影響で真琴も麻雀にすっかりはまっている。本来雀荘にいけない年なので普段はゲームかネットでやっているのだが、たまに「鍵の音」に遊びに来るくらいだ。麻雀以外の趣味は漫画を読むこと(勿論麻雀漫画もよく読む)。女の子らしく対子系の手を好み、特に役満には目がない。

兄と趣味を共有して楽しむことができる妹というのは、今時珍しい存在であろう。そう思えば、生意気なところもあるけれど、可愛らしくもある存在だ。

 

…次章へ続く。

 

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