花鳥風月

思いついたことを書きます

2011年12月22日の記事

西のみやこ

 太宰府天満宮でももちろんご朱印いただいてきたのですが、Upするのを忘れてました(;´-∀-`)ゞ

ので、、今日ご紹介する観世音寺のご朱印とあわせてご紹介いたしまする

 

 フラッシュで真ん中あたりが白けちゃった^^;

太宰府はやはり太宰府らしく真ん中は梅なんです(*´・д・)(・д・`*)ネー

これ見てまた梅が枝餅が食べたくなりました( *´艸`)

 

 右側が本日ご紹介する観世音寺です♪

ここは太宰府政庁のすぐ隣にありまして661年(白鳳元年)に天智天皇がお母様の斉明天皇の追善のために発願された古い古いお寺なのです

 

 

 これは講堂です。この建物は相次ぐ戦火によって何度も焼けたので江戸時代になって立て替えられたものなんですが、創建当初はこれより数倍大きかったんだそうですぉ

 真ん中に灯篭があるというのも面白いですよ(*´・д・)(・д・`*)ネー

 

 斉明天皇は天智天皇のお母様だと先ほど書きましたが、この方は二度天皇になられているのです。

最初の名前は皇極天皇。

この時代にかの有名な「大化の改新」が起こったのです。

天智天皇=中大兄皇子ですよ♪(σ´ω`)σ

この時に皇極天皇は譲位します。でも中大兄皇子は皇太子のままで政治を執るほうがやりやすかったんでしょうねー。次の孝徳天皇が亡くなった後に再度皇極天皇に即位してもらって斉明天皇となるのです。

 

 こちらは金堂です。講堂の右側にあります。

 

 斉明天皇の時代に百済救出のために朝鮮に出兵することになって、中大兄皇子は斉明天皇を伴って九州に来ているのです。

 んっと、前線基地っていうか大本営っていうか、そいうい感じで思ってもらえたらわかるかもw

しかし、ご高齢であったため斉明天皇は九州の朝倉宮というところで亡くなります。

 

 この後中大兄皇子が即位して天智天皇となり、朝鮮半島では「白村江の戦い」があって大和・百済の連合軍は唐・新羅連合軍に大敗してしまいます。

 

 いくら国のためと言いながら、自分の母親を九州の果てまで連れて行ってそこで死なせてしまうというのは天智天皇にとっては辛いことだったでしょうね。

 

 堅い歴史のお勉強のお話になってしまいましたね^^

 

 観世音寺の紅葉見て一服してください(∩_∩)

 

観世音寺は源氏物語の玉鬘の巻にも出てくるところなんですよ♪(σ´ω`)σ

 

大弐の御館の上の清水の御寺、観世音寺に参りたまひし 勢いは、帝の行幸にやは劣れる

 

大宰大弐の正妻が、清水の御寺の観世音寺に参詣されたときの威勢は、帝の行幸にも劣りましょうか。という意味ですが

紫式部のダンナさんが結婚する前に太宰府にいたらしくて、いろいろとお話を聞いてたんでしょうねー

 

 

 ここには沢山の国宝があるのですが、この鐘も国宝なのですぉ

京都の妙心寺の鐘と兄弟らしくてめっちゃ古い梵鐘です。

 

 

 網がかかってまして中には入れませんでした。

この鐘は太宰府天満宮神幸式の夜と大晦日の二回だけ音を聞くことが出来るそうです。

 

 σ(^▽^)的にはこれだけ由緒があって国宝もたくさんある所なんだから、もう少し整備してもいいんじゃないかなーなんて思う反面、古びてちょっと寂れた感じなのも情緒があっていいのかなと思う気持ちと両方ありますねー

 

 さて、観世音寺を出ようとするとすぐ右側に土塀がありました

 

 こんな土塀って全く見ないですよ(*´・д・)(・д・`*)ネー

高さは120cmくらいかな。かなり低いです。

ここは、

 

 戒壇院。761年に鑑真によって建てられたそうです。

戒壇院って最初は東大寺にだけあったのですが、お坊さん志望者はわざわざ都まで行かなくてもここで受けられるようにしたそうなんですよ。

戒壇院はここ観世音寺と東大寺、あと下野薬師寺(栃木県ですかね)の3つしか無かったそうです。

 

 後で調べたら、今ここは観世音寺とは別のお寺になってるんだそうでして、ご朱印もらえば良かったですねー><

 

 門を入ったすぐのところには

 

 花が散って赤い絨毯が敷き詰められているようです。

 

 朽ち果てた 西の京に 山茶花咲く

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