にっき

わが泣くを少女等きかば病犬の月に吠ゆるに似たりといふらむ

すべての記事を表示

うそつきの美学。

嘘と硝子は似ている。

それは内と外とを隔離するが、その存在は目には見えない。だが、何かの拍子に割れてしまったとき、それは忽ちに人を傷付ける凶器へと変貌する。



一度、嘘を吐いたら、必ずそれを吐き通さなければいけない。たとえ、吐き通すのが不可能なくらいに真実が露呈しても、嘘を吐いたことを謝ってはいけない。途中で嘘を投げ出すことは簡単だし、罪の意識を背負う必要もなくなるが、それはつまり、あなたの代わりに誰かが傷付くということだ。人を傷付けるのは何時だって、嘘ではなく、その下に隠れた真実の方である。嘘吐きたるもの、誰かを傷付けるような真似だけはしてはいけない。嘘とは即ち優しさなのだから。嘘だって吐き通せば真実になるし、真実だっていとも簡単に嘘になりえる。嘘を吐くときには常に、最終的には相手を殺してしまうか、または自分が死ぬくらいの気持ちでいるべきなのである。




ぼくはうそつきだ(クレタ人のパラドックス)

ぼくが言葉の通りに嘘吐きならば「うそつきだ」というのも嘘のはずだから、実際は正直ということになる。
しかし、正直ならば「うそつきだ」というのが真実ということになるので、本当はやはり嘘吐きなのである。

さて、ぼくはうそつきなのだろうか。



―うそでもいいから、すきだって、いってみて。

―すきだよ。

―うそつき。

君がうそを吐いたことを責めているわけではない。ただ、うそを吐き通してくれなかったことを、責めているのだ。ぼくだって、君の言葉を鵜呑みにできるほど子供じゃないし、うそがうそであることくらい、薄々は気付いていた。でも、それでよかった、うそで構わなかった。うその言葉でも、君が永遠を誓う度に、ぼくの心は少しずつ真実の色を帯びた。ちいさなうその数々が、この季節の星空のように輝いて、ぼくは涙が止まらなくなるくらい、世界を愛おしいと思った。この世が全てうそであるならば、うそがどうして罪悪になるであろう。願わくば、もう一度、うそだというのはうそだったと、うそを吐いてほしい。うその上にうそを重ねて、この星の上に愛と呼べるものはそれしかないのだから。



ぼくらのあたまの上に、かみさまはいないと、むかしの人たちは、うそをついた。

神様は確かにいるのだ。いや、いないのかもしれない。だけど、そんなのはどちらでも構わないことではないか。どうせぼくらは銀色にピカピカと光る宇宙船に乗ることもなく、この狭く汚れた大地の上で朽ちていくのだし、あたまの上が実際にどうなっているのかなど、知る由も必要もないことなのだ。気象衛星ひまわりなんて本当は存在しなくて、気象庁の偉い人がサイコロを振っているだけだと仮定したほうが、ちっとも当たらない天気予報にも納得が行くのではないだろうか。

あたまの上に、神様ではなく宇宙様がいると教えたのがカガクという宗教で、カガクシャたちは、カガクさえ信じていれば人類には永久不滅の幸福が訪れると、そう口を揃えた。しかし、本当にカガクが人を幸せにしてくれただろうか。カガクがこの世に現れて、あらゆる宗教を瞬く間に席巻して以来、人類はカガクのために全てを支払ってきた。偉大なる宇宙様を一目拝みたいと、世界の裏側で失われつつある何億もの命を簡単に救えるだけのエネルギーを費やしてロケットというジッグラトを作り、残ったのは「地球は青かった」という間抜けな一言だけだし、ついには月にまで足を伸ばして「この一歩は小さな一歩だが、我々人類にとっては大きな一歩である」ときた。むしろ、大きなお世話である。

そうして、ぼくらは幸せになっただろうか。

カガクが人類に齎したのは、終わることのない退屈と、そして覚えなければいけない沢山の公式だけである。信じるものは巣食われる。人類はカガクシャに騙されて二十世紀を生きてきた。二十一世紀は何に騙されるのか。ぼくらは結局、何かに騙されていなければ生きてはいけないのだ。生きるということ、それ自体が大きな偽りなのだから。



「いいか、よく覚えておけよ、坊主」と、未来のぼくだと名乗る見知らぬ男は言った。

「嘘を吐くのは必ずしも悪いことではない。しかし、自分に対して嘘を吐くことだけはしてはいけない。そうすると、自分自身が嘘に飲み込まれて、嘘は嘘でなくなってしまうんだ。」

未来のぼくは、じっとぼくの目を覗き込んでくる。ぼくが恭しく頷くと、未来のぼくも一呼吸を置いて頷き、そしてさらに言葉を続けた。

「嘘は必ず他人のために、他人を欺くために使うことだ。そうすれば、嘘はこの世で最も強い武器にもなるし、大切な人を守るための盾にもなる。」

「ねえ、おじさんは、未来のぼくは、どうしてここに来たの?」

ぼくが聞くと、未来のぼくは何故か目を瞑って首を横に振り、それから少し勿体振った調子で話し出した。

「それは今はまだ言えない。坊主を危険に巻き込むわけにはいかないからな。」

次の日も公園に行くと、未来のぼくは昨日と同じベンチに腰掛けて、ぼくの知らない男の子の目を覗き込みながら、何かを熱心に話していた。

この記事の先頭へ▲

海の見える町。

むかし

とは言っても、大人になってしまってからのことだが、海の見える町に住んでいたことがある。駅前にこじんまりとしたスーパーがある以外には、ほんとうに何もない町だったが、今でもよく、あの頃のことを思い出す。ぼくの住んでいたところは四階で、ベランダ側には雑木林があって、海から吹き付ける潮風がその枝葉を揺らすのを眺めるのが好きだった。春の明るい空の下、畑に囲まれた道をとぼとぼと歩いて恋人を迎えに行くと、白いワンピース姿の彼女が、花壇の縁石に小さく腰掛けて、今にも泣き出しそうに俯いていたのも、あの頃のことだ。



知らない場所が好きだ。自分を見失えるから。

つい最近のことのような気がするが、もう二年も前、ぼくはやはり知らない町に立っていた。前日の夜に、一度だけ会ったことのある女の子から電話が掛かってきて、そのうちにどちらが言い出したでもなく、ぼくが彼女の家に遊びに行くという話になったのだ。その話題になった時には既に東の空が明るんでいて、二人とも眠くて、夢見心地で、どこかぼんやりとしていたので、一緒に遊ぶという話は、何かすごく楽しい夢の出来事のような気がした。

確かに楽しかったけれど、なぜか具体的なことがまるで思い出せない。一緒に食べたパフェの味や、彼女のあまり可愛くない寝顔は、記憶の彼方で抽象的に霞んでしまい、はっきりと覚えているのは、彼女が出掛けたときのがらんとした部屋の窓から見えた空の色とか、缶コーヒーを買ってくれた自動販売機のうら寂しい照明だとか、そういうものばかりなのだ。

短い同棲ごっこの末に冷たく追い出されてから、ぼくは半日くらい知らない町を歩き続けてみた。見馴れたコンビニと、ガソリンスタンド、信号機も道路標識もいつも目にしていたものと何の変わりもないのに、そこはやはりぼくの全く知らない場所で、ぼくだけが仲間外れにされているみたいに、町はぼくが一切触れずとも、必然性を誇るように正しく回り続けていた。

日暮れに小雨が降ってきて、既に何もかもがどうでもよくなっていたぼくは、公園のベンチに座って雨に濡れていた。ふと思い出して、バッグから彼女が買ってくれた歯ブラシを取り出してみると、その安物の歯ブラシはなんだかすごくセンチメンタルな紫色をしていて、ぼくはすぐにでも死んでしまいたいと感じた。だから、歯ブラシをぬかるんだ地面に突き刺して、自分の墓碑の代わりにした。

そのうち隣の駅に着いたので、現実逃避は諦めて帰ることにした。しかし、切符を買うために路線表を見上げたときに、ぼくは愕然とした。自分がこれからどこへ帰ればいいのか、それがさっぱり解らないのだ。行き先もなければ、帰る場所もなくて、ぼくは完全に自分を見失っていた。ピントが外れるように、世界からみるみると形が失われていった。あの名前も知らない公園で、ぼくの一部は確かに死んでしまったのだ。



もっともっと、むかし、ぼくのすきなひとは、しらないまちに、すんでいた。かのじょのいえは、えきからあるいて、じっぷんほどで、あのころに、なんどもあるいたみちは、いまでもおもいだすたび、なつかしくかんじる。

記憶の中には、彼女もぼくも、もう立ってはいない。同じ夜空の下、小さな星の上、あまり変わらない町並みの中で、ぼくらばかりが、ずっと遠いところへ来てしまったのだ。思い出す景色は、なぜかいつも雪が降っていて、しんしんと、ただしんしんと時間を鎖していくのである。

吐く息の白さも、悲しすぎるばかりではないか。



その日に会ったばかりの女子高生と唇を重ねながら、ぼくは電話ボックスを眺めていた。深夜十一時のうらぶれたローカル駅では、それくらいしか、目に付くものがなかったのだ。自分はどうして、こんなくだらないことをしているのだろう。その帰りに死のうとしたが、上手くいかなかった。

それから数年して、ぼくはあの時に眺めていた電話ボックスに入っていた。記憶の片隅で煌々と黄緑色に照らされているそれが、なんだかとても魅力的な気がして、自宅からは百キロも離れたその場所まで、わざわざ来てみたのだった。電話ボックスに入ったからには、やはり電話をするべきで、ぼくは迷わずあの日の女子高生に電話を掛けた。小銭が全てなくなって、それから携帯電話の電池が切れるまで話し、その帰りに死のうとしたが、上手くいかなかった。



―辛いときは、ちゃんと私がいるからね。

ぼくの腕の中で、そっと彼女が言った。

―君が辛いときには、誰がいるの?

ぼくがきくと、彼女は「かれし」と言って、くすっと笑った。どういう顔をすればいいか解らなくて無言でいたら、数秒の間があってから、彼女は「ごめん」と謝った。

―ねえ、結婚しない?

ぼくが唐突に言ったら、彼女は「幸せにしてくれるならいいよ」と言って微笑んだ。その笑顔があまりに可愛くて、本当に結婚してもいいかなと思ったけど、ぼくでは彼女を幸せにできないし、彼女もそれを解った上で言っているのだろう。

―幸せにできるようになったら迎えに行く。

―うん、期待しないで待ってる。

世界の片隅で、誰にも見つからないように、ひっそりと肌を重ね合わせて、ぼくらの孤独は初めて居場所を見つけられるのだ。 

この記事の先頭へ▲

しろい夢。

ぼくは、眩しい部屋にいた。眩しいのは、天井の一部に穴が開いて、そこから直に陽が差し込んでいるからだ。割れた窓ガラスの向こうには、みずみずしく芽吹いた若葉が見える。ずっと昔に見たことのあるような、小さな部屋だ。もう長い間、人には棄て置かれていたのだろう。壁紙は大きく剥がれ、テーブルの脚の一つは折れてしまい、天井の穴の下には幾らかの草木までが生えていた。

そんな荒れ果てた部屋の片隅には、ピアノが置いてある。年月によって全ての色を奪われてしまった部屋の中で、ピアノだけは、孤独な夜を吸い続けたみたいに、今でもその深い黒を失ってはいなかった。そこには、圧倒的なまでのモノトーン、現実とは隔離された作り物の空気があった。ぼくは、生まれる前から予定されていたみたいに、無意識の内にピアノに向かうと、埃にくすんだ蓋を開けて、白と黒の鍵盤にそっと指を置いた。目を瞑ると、何かに操られるように指が自然に動く。調律の狂い切った調べは、ずっと昔、生まれるよりも遥か以前に、何処かで聞いたことのあるような気がした。

デジャヴュの正体を突き止めようと、目を瞑ったまま自らの演奏するピアノの音色にじっと耳を傾けていると、ふいに88鍵の右端にある最も高いドの音(狂っているのでシに近い)が紛れ込んできた。ふと目を開けて振り向くと、そこにはいつの間にか、白い髪に白い肌、白いロングワンピースという異様な出で立ちの、もう少し具体的に異様さを説明するならば、兎のように赤い瞳と、僅かに赤みを帯びた唇以外には全く色のない少女が立っていた。彼女はぼくには目もくれず、じっと鍵盤を見詰めながら、細い、しかし女の子にしては節のはっきりした長い中指で、いちばん右端の白い鍵盤を、アダージョで二分音符と八分休符を交互というリズムを守って突き続けていた。

何回、間延びしたドを聞いただろうか。百回までは数えていたのだが、そこから先は彼女の瞬きを数えていた。彼女は睫毛にまで色がなくて、それは明るい光を受けて朝日のような金色に輝いていたのだ。そして、百回目のドから数えて1044回目の瞬きの後、彼女は視線は鍵盤に向けたまま唐突に小さな口を開いた。

―もう、弾かないの?

彼女は、その非現実的な姿よりもずっと落ち着いて響く、440Hzの音叉のような声をしていた。

―何を弾いていたっけ?

はぐらかしたわけではなく、本当に自分がさっきまで何を弾いていたのか、思い出すことができなかったのだ。元々、曲名も解らなかったが、今ではそのメロディーすら、夢の記憶のように靄の向こうに霞んでいた。

―それはね……

彼女がぼくの耳元に薄い唇を近付ける。湿った吐息が耳朶を擽って、ぼくは急に暴力的なまでの眠気に襲われた。自分の弾いていた曲の正体を見極めなければと頭では思っているのに、その真相を目の前にして、あと一秒か二秒が堪えられないのだ。瞼が落ちて、視界が、意識が、彼女の声が、全てが黒に溶けていく。身体をピアノに預け、意識を保つことを諦めてしまうと、ずっと遠くで彼女の声が聞こえた。その声は共鳴する音叉のように、いつまでも頭の中で響き続けていた。




ふと気付くと夜になっていた。月のない夜、辺りをピアノと同じ漆黒が包む。酷く寒い、服が濡れているからだ。目は閉じていたが、開けていたとしても何も見えなかっただろう。ぼくは鍵盤に指を置く。しかし、十本の指が再び曲を奏でることはなかった。狂ったピアノの前で、ぼくは小さく狂って項垂れる。夜が明けて、赤に塗れた彼女の姿を見るのが怖かった。このまま夜が明けなければいいのに。鍵盤に激しく両手を叩き付けると、それは絶望の音を響かせて、世界の向こうの病犬がそれに応えて吠え続けた。 

この記事の先頭へ▲

鏡映しのぼくらは、ふたりでひとつの、小さなこころを共有する。

今度こそは、優しくしてあげようと思う。さみしがりで、あまえんぼうなのに、いつも虚勢を張って、素直になれない、誰かにそっくりな彼女だから、あたまを撫でて、朝まで隣にいてあげようと。目が覚めたときの、彼女の満ち足りた表情があれば、ぼくだってきっと、幸せな気持ちになれるだろう、と。でも、だめなんだ。いざ、彼女と向き合うと、ぼくの興味はすることにしかなくなるし、それすら終わってしまうと、彼女はもう、微かな寝息さえ厭わしい存在になる。熱を帯びた部屋の中には、酸素が不足しているような気がして、深呼吸をしてみるのだが、効果はなく、意識するほどに、息が苦しくなる。だから、可哀相だとは思いつつも、冷たい風を求めて、つい外へと出てしまう。カップケーキのように丸い月を見上げながら、今度こそは、優しくしてあげようと思う。だけど、そんなことを繰り返しているうちに、今度が来なくなってしまい、彼女にとってのぼくは、過去の嫌な思い出でしかなくなる。そのときになって初めて、ぼくは、自分のほうが依存していたのだと、気付くのだ。 

この記事の先頭へ▲

あとでちゅーしてあげるから。

あまり活気があるとは言えない商店街のアーケードの下を歩きながら、ぼくは左右の目を交互に開けたり閉じたりしていた。片方の目をこの場で刔り取るならば、どちらのほうが後々で不便が残りにくいかを考えていたのだ。

少し離れた前方には彼女と、その隣には友達だという大学生くらいの男の姿がある。だが、友達にしては肩が触れ合いそうなくらいに距離が近いし、彼女が男のほうを見上げて話す仕種などは、実際はどうあれ、端から見れば誰もが、二人はカップルなのだと認識しただろう。

彼女はぼくのことはすっかり忘れているのか、本当に楽しそうに話をしている。とても間に入れる雰囲気ではないが、後ろからこうして眺めているのもあまり気持ちのいいものではない。だから、逆に二人の前を歩こうと思ったぼくは、早足になって少しずつ距離を詰め、二人を追い抜こうとした。しかし、彼女の横を通り過ぎたとき、急にぐいと腕を引っ張られた。今から思えば本当に子供っぽいが、わざと不機嫌な様子で振り向くと、彼女は顔をぐいと寄せてきて、耳元に「あとでちゅーしてあげるから」と柔らかいトーンで囁いた。

彼女は自分の魅力に絶対の自信を持っていた。だから、キスの一つでぼくの機嫌が直ると、足元を見ていたのだろう。だけど、悔しいことにその通りなのだ。ぼくは、その言葉を聞いた瞬間、こころがぎゅうと握られたような気がした。まるで素晴らしい芸術を目の当たりにしたときのように、身体が芯から温まっていくような不思議な感覚が起きて、その激しい感動に、ぼくは目頭が熱くなるのさえ感じた。

何を考えているのか、彼女はそのままぼくの腕を強く引いて身体を傾けさせ、唇を今にも触れ合いそうなくらいに寄せてきた。目は何かを見据えるように大きく見開かれたままで、その瞳は自信に満ちた色をしている。今から思えば、あのままキスをすれば良かったのだが、その時のぼくは逆に身体を引いてしまった。いや、彼女はぼくがキスをしないことが解っていたからこそ、あんな行動に出たのだろう。やはりばかにされていたのだ。

「あ、なんか逃げちゃった」とぼくが言うと、彼女は面白そうにくすくすと笑った。それがなんだか照れ臭くて「別に怒ってないよ」と余計なことを言うと、彼女は「怒ってるのかと思った」と笑顔で返事をして、そして手をぎゅっと繋いでくれた。指と指を交差させる恋人繋ぎだ。そのまま少し歩いたが、十メートルほどですぐにアーケードが終わったので、彼女は自然に、または計算通りに手を離して、後ろにいた男に向かって子供のようにはしゃいだ声で「おなかすいたね」と言った。

この記事の先頭へ▲

お名前メモする