タルティーン司令部戦略課室長日誌

ここだけで読める、戦略課の秘話その他。

テレビの記事

佐倉城@熱血BO-SO TV

千葉テレビ『熱血BO-SO TV』という番組があるのですが…、

 

熱血BO-SO TV
http://3ch.chiba-tv.com/boso-tv/

 

1214日、この番組に佐倉市のご当地キャラクターでもあるカムロちゃんが出演しました。

 

 

テーマは「佐倉城を攻め落とせ!」だそうで。

 

 

地域振興的にそのテーマ名はどうなんだと思わなくもないですが、それはさておき、その枠内でシオンが制作した佐倉城復元の作品が使用されました。

 

 

 

ちなみに「佐倉フィルムコミッション」とは佐倉市産業振興課のチームの別名…のようなもの。映画やドラマ等のロケ撮影場所として佐倉市の紹介や斡旋などを行っています。

 

「画質が悪くない?

 

じつは佐倉市から使用についての問い合わせが来たのが放送の日前。千葉テレビに素材提供する時間的余裕もほとんどなく、市は以前に納品した動画のDVDをそのままお貸ししたのだとか。
もっと事前に連絡があり、納期にも最低でも日以上の余裕があれば改めて高解像度で静止画像をレンダリングすることもできたのですが、残念ながらそういう時間も無かったのです。

 

シオンとしては、最低でも納品までに週間くらい余裕をみて事前に連絡をもらえれば、指定されたアングルからのカットや動画を用意して、デジタルテレビ放送に耐えうるような画質で再出力して納品したかったなぁ…と思います。
くだんの、市が千葉テレビに貸し出したDVDの画面アスペクト比だって、イベント時の映写機用に4:3で作ったものなので、今の標準的なワイド型テレビの16:9とは違いますし…。

 

 

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ビブリア古書堂の事件手帖

 

ビブリア古書堂の事件手帖
http://www.fujitv.co.jp/biblia/index.html

 

週間遅れでようやく録画していた初回を観ました、テレビドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』です。
原作は三上延の同名ライトノベルですが私は未読。さらに言うと、扱われていた題材である夏目漱石『それから』も恥ずかしながら未読です。

 

という訳でドラマの感想。

 

これ、面白いですね。極めて異色なミステリです。何が異色かって、大抵ミステリには殺人事件だとか何がしかの悲劇がテーマとして扱われるものですが、本作にはそれが無い。無いだけではなく、観終わったときに何とも言えない幸福感に包まれたような感じかしました。

 

幸福感
それは観ている者だけではなく、登場人物も含めてです。
ぶっちゃけ、前述の通り仰々しい派手な刑事事件が起きる訳ではなく、ごくごく身近にありそうな個人的な裏話。しかしその周囲の人はその真実を知らない。
こうした個人的な裏話は、普通は知れば藪から蛇を出すようなもので、むしろ事件を起こしてしまうようなものなのですが、本作はそういう質のものではない。それを知ったことで目の前がフッと明るくなるような、そういう類のものだったりします。

 

ミステリの手法としては、いわゆる安楽椅子探偵のタイプ。つまり推理を行う人物は、事件現場そのものを知らないし、特に今回のケースの場合、その事件すら過去のものであって接触しようもありません。
語り部である大輔の持ち込んだ古本、その1冊から大輔の祖母にまつわる過去を読み解いていく。当然、いわゆる探偵役に相当するビブリア古書堂の店主こと栞子には大輔の祖母との接点はなく、大輔の家に訪れることもない。空間としては自らの古書店だけ。その場所から動くことなく全てを読み解いていくその姿はまさに典型的な安楽椅子探偵のスタイルです。

 

 

本作の良いところは、前述のように人の心を幸福にするだけではなく、実在の著書を題材としている点にあります。
このとき、本作に接するときにはつの人間が存在することになります。即ち、題材とする著書を既に知っている場合と、知らない場合です。
前者であれば著書の内容を知っていることになり、ミステリにあたってのカギとなる情報をより多く知ることになります。従って、より謎解きに関わっていける要素が増えます。

 

では後者の場合はどうか。著書の内容を知らないということは情報がそれだけ少ないことを意味します。ということはアンフェアと成り得ないか?
そうはならないところが素晴らしい。むしろ、くだんの著書への関心をいざなってくれる。つまり、本の紹介という側面ももつ作品であるということができます。

 

言い換えれば、これはメタフィクションの手法を使った、観ている者の参加型作品と呼ぶこともできそうです。
登場する著書は実在し、本作とは別に読むことがリアルとして実際にできる。謎解きをするにあたって、その原典たる著書にあたることもでき、或いは読まぬ知らぬというままに解決シーンに到り、帰納的に原典を辿るという楽しみ方もできます。

 

「実在の著書を題材として扱ったミステリと言えば、
 昨年に公開された映画『推理作家ポー 最期の5日間』も
 似たような手法だよね

 

まぁ、ある意味ではそういう部分もありますね。
『推理作家ポー 最期の日間』は私も観てきましたが…、

 

【過去ブログ】

推理作家ポー 最期の5日間
http://blog.hangame.co.jp/agc_tailltea/article/39777160/

 

…しかしブログでも書きましたが『推理作家ポー 最期の5日間』は観る人をひどく選ぶ内容となっており、正直後味が宜しくありませんでした
私自身が残虐描写を苦手に感じているということもありますが、『推理作家ポー 最期の5日間』を観て心が晴れ晴れとする人は、たぶんいないと思うのです。そして登場人物も誰人として幸せにはなっていません。
ポーの著作に興味を覚えることはあっても、劇中でくだんの著書について解説する場面はほとんど無く、よって当該著書を知らない観客は置いてけぼりをくらうのが『推理作家ポー 最期の5日間』なのです。

 

ついてに言うと、多少ネタバレにはなりますが映画『推理作家ポー 最期の5日間』の場合、登場する著書に関する詳しい知識があったとしても、謎解きの上では正直アンフェアな展開も多いので、納得できない方も少なくないのでは…という気がします。
もっとも、それはくだんの作品の演出であることを私は理解していますので、これを以って評価を下げるものではないと考えていますが…。

 

しかし、これに対して『ビブリア古書堂の事件手帖』は題材となる著書を知らないことは、謎解きの上では遅れをとるかもしれないものの、物語を楽しむ上では何らデメリットにはなりません。むしろ真実が明らかにされたとき、より強い衝撃を以って臨むことができるぶん、別の楽しみが増えるとも言えます。
また、当該著書に関する解説もあるので、知識を深める機会にもなります。
これもまた、幸福感というか、満足感を向上させる要素になっていると思います。

 

 

私自身がミステリ好きだというのもありますが、このドラマは最後まで観てみたいと思いました。

 

 

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信長のシェフ

 

信長のシェフ
http://www.tv-asahi.co.jp/nobunaga/

 

昨夜から始まったテレビドラマ『信長のシェフ』です。
いわゆるタイムスリップもので、そのタイトルの通り、現代の料理人が安土桃山時代に迷い込むという物語。原作はコミックらしいのですが私は未読なのでよく知りません。

 

という訳でドラマの感想ですが。

 

テーマとしては面白いと思うのです。料理を主題とした作品は数多いですし、ここ最近はタイムスリップものも静かなブームが続いている感じがありますが、しかし両者の組み合わせはあまり見られません。
そういう意味で着眼点としては非常に興味深いです。

 

しかしテレビドラマとしてはあまり面白く感じられませんでした
原作がどうなのかは知りませんが、とにかく展開が早過ぎる。とんとん拍子とは言わないまでも、

主人公が信長に召し抱えられるという状況になるまでを急ぎ過ぎている感があって、物語の深みが見られません。
序盤でタレると連続ドラマとしては掴みが弱くなるというのは理解できますが、設定ありきで作っている印象が強く、そのために面白さがそぎ落とされているような感じがしたのです。

 

前述のように、テーマとしては悪くないですし、もっと面白くなるはずの作品だと思います。
クールの関係で早々に信長と出会うというのも判らなくはありませんし、それ故の脚本であることを考えれば、それもまぁ悪いとまでは言えません。

 

「じゃあ、

 何が悪いと言うの?

 

恐らくは演出が悪いのです。

 

主人公・ケンに嫌味を持ちかけつつも強い関心を寄せている男。彼が明智光秀であるということが初回第話のラストで明らかになりますが、原作未読でありながらもそれが早々に読めてしまう作り。
本来であれば、彼が光秀であることが判ったとき、相応のインパクトを観ている者に与え、今後の展開に尾を引く予感を抱かせるというのが制作意図であったはずですし、ここはそういう場面であると思います。
しかしその個所が読めてしまうと、それだけで面白さは半減します。彼が物語の重要なキーを握る以上、そこに衝撃がないことには物語の緩急がありません。

 

また、予算的な問題もあったのでしょうが、登場人物が少なく、人物関係が単純過ぎる感が否めません。
何より戦で信長が単身で敵兵をバッタバッタと斬っていく。否、そういう画があっても悪くはありませんが、それしかないというのは戦らしくありません。某大河ドラマ張りのモブ戦とまでは言わずとも、複数対複数という構図を作って欲しいものです。

 

加えて、彼らが兜を被っていないというのも不自然でしょう。
無論、この意図は理解できます。しばしばアニメやゲーム作品でも呈されることなのですが、兜を被ってしまうと当然のことながら顔が見えなくなります。結果、キャラクターが判りづらくなるというネックが生じます。
モブの雑兵の顔が見えずとも構いませんが、主要キャラクターはどれが誰であるのかが判らないとお話にならない。こと主役級であれば、観ている者がそうであるとすぐに判る程度に明示する必要もあります。
とは言うものの、当時の武将は大抵、装甲の装飾で自分が何者であるのかを語っていました。物語の冒頭で、何の断りも無く、そうした甲冑で理解しろというのは流石に無茶ではありますが、演出次第で視聴者にはそれと窺わせるようなことは可能でしょう。
何より番組のタイトルが『信長のシェフ』なのですから黙っていても観ている者は「どれが信長だ」と構えて観ることになります。そこに威風堂々とした髭にマントの面長な武将が現れれば、日本人ならば誰しもそれが織田信長であると判ります。

 

タイムスリップものというジャンルの作品が他にも多く存在し、結果として同様の作品と比較されるが故にこうした演出といった部分には、より厳しい目が向けられるでしょう。
それを考えたとき、本作の演出や構成には詰めの甘い個所が多分に見受けられ、それが全体の淡白さに繋がっているようです。

 

良い点もありました。
個人的に気に入ったのはコンフェイト(金平糖のもととなったと言われるポルトガルの砂糖菓子)から綿飴を作るというところ。湯に溶いたコンフェイトをすくい、風にあてることで瞬時に糸状に固める。原理的には可能でしょうが、本当にそんな簡単に作れるものなのか、疑問ではあります。しかしそこを突っ込むのは野暮でしょう。画的に美しく、もしこのような調理や料理を当時の人が目の当りにしたら魔法か何かと感じたでしょうし、ルイス・フロイスには旧約聖書マンナ(神が天から降らせたという甘い食物)に思えたかもしれません。

 

とは言え、塩や酢、酒程度しかない当時の調味料群で、本当に驚愕するような味が作れるものなのか、この辺りは「原作が漫画だから」ということなのでしょうかね…。私には『JIN −仁−』に於ける恭太郎ロボトミー手術よりも敷居が高い気がします…。

 

※開頭手術が料理よりも容易だという意味ではなく、
  頭蓋骨内にたまったヘマトーム(血)を
  取り除くこと自体は物理的に可能であり、
  大工道具だけを用いて行うことは困難とは言え
  できなくはないものです。
  事実、紀元前から開頭術は行われていました。
  これに対して、
  限られた食材や調味料によって料理で再現できる味覚には
  物理的にも論理的にも限界があると考えます。

 

ともあれ、今後どのような展開になるのか。また、演出的には良好に向かうのか。
料理がテーマなだけに、この決して悪くない興味深いテーマをうまく料理して欲しいです。
もう少し観てみたいとは思いました。

 

 

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メルトダウン 〜福島第一原発 あのとき何が〜

 

NHKスペシャル シリーズ原発危機 メルトダウン 〜福島第一原発 あのとき何が〜
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111218.html#

 

 

 

 

http://www.nhk.or.jp/special/movie/movie_02.swf?v=v111218_2100nsp_2

 

 

世間では色々と取り立たされている原発事故ですが、私はこれまで、事故対応そのものについて批判的な内容を書いたことは一度もありませんでした。
理由としては、

 

 1)具体的な状況が判らないこと
 2)私自身がこの事案に言及できる知識を有していないこと
 3)仮に知識を有していたとしても恐らく何をする手段も得られなかったであろうこと
 4)そもそも震災直前まで特段に原発に否定的では無かったこと

 

等が挙げられます。逆に言うと、これらを考えずに発言するのは無責任だと思っています。

 

「「4)」に関して言えば、安全だと言われてきたから、
 理由としては無効だと思うけれども

 

そういう向きもあるでしょうね。
しかし、私の持論として「「知らない」は理由にならない」というのがあります。勿論、知識レベル等の問題で、到底一朝一夕では到達できないものというのはあります。また、どうしたって知りえない情報もあるでしょう。原子力の高度な物理学等を理解するには、相当な勉強が必要でしょうし、それらの専門的な知識を知らないこと自体は問題無いと思います。
しかし、例えばこの原発の安全性に関して言えば、たとえそう言われ続けていたとしても、それを鵜呑みにしていたのは間違いないですし、疑問を抱いて自分から調べようと思ったことが無い以上、その非を受け入れなければ、そこから何も学びとることは出来ないと考えています。

 

知らない」が理由にならない以上、「知らなかった」という過去形も理由になりません。
ですから「1)」も重要です。

 

「毎日のようにニュースで報じられているじゃない

 

ええ、そうですね。
では、そこから具体的に何を知りましたか?
はっきり言いますが、判らないことだらけです。その判らないことが、国民の不安に繋がっているのです。

 

「それは、ちゃんとした説明がされていないから…

 

では訊きますが、説明できる人とは誰でしょうか?
誰の説明ならば理解できると言うんですか? 誰が説明すれば納得できるんです?
そんなもの無いでしょう?

 

実際のところ、誰も判らないんです。融けた燃料棒がどうなったのか、目で見た人はいないんですよ。いる訳ないでしょう?
理解できないのではなく、「判らない」「今の人類には知る術を持たない」ということを理解すべきなんです。
不用意な発言をして、あとで「知らなかった」などと言い訳をするのは無責任なのです
それは公人だろうと私人だろうと同じです。

 

先述の通り、放射線物理学は一朝一夕で理解できるものではありません。これに原子力発電所の仕組みやら何やら加わってきたら、到底、知識レベル的に越えられない壁があります。
無学な者が頓珍漢な話をするほど無責任で愚かなこともありません。多少なりとも理解し、知り得る物事を以て考察する。最低限、その程度にはなりたいものです。
これが「2)」の理由です。

 

 

さて「3)」です。
これは「2)」の理由が無い場合を仮定したものです。現実的な状況ではありませんが、物事を発言する際にこれを考えているのは、常に主観と客観の両視点で推し量りたいと思っているからです。
当事者の立場を考えない発言は無責任です。仮に自分に、第一線級の技術力があり、現場に接する立場だったとして、何ができたか。
実のところ、ほとんど有意義なことは何一つ出来なかっただろうと思われました。

 

くだんの番組で、この考えは確信に到りました。
少なくとも震災後の原発事故は、避けようの無いものだったのです。これに関して言えば、政府も原発職員も、できうる最大限のことをしていたという言葉に間違いは無いのです。

 

「それを想定外なんて言葉で済ませる訳にはいかないでしょ

 

勿論その通りです。
だからこそ、今もなお、事故収束に動いている訳です。
終わっていないし、現在進行形です。それは御存じでしょう?

 

「だから、事故が起きたこと、
 その結果が自体がすべてなんだって

 

事故が起きたこと、それ自体を批判するのであれば、今の政府も原発職員も、まったく関係ありません。
そして、安全だという言葉を信じてきた自分達も含めて、震災以前の時制に於けるすべてに責任があるのですよ。

 

「そんな言葉で住民が納得する訳ないよ

 

感情としては理解できますが、感情論では何も解決しません。
そして批判する人の多くは、自らは合理的な解決策を出すこと無く終始しています。それは無責任です

 

「無責任、無責任って、それしか言えないの?

 

いえ、私なりに、さしあたって「2)」を少しでも解消すべく、色々調べているところですが…、それって今、ブログで公開すべき話なんでしょうかね。私の判断で、書いていないのですが。
また、先程、政府も原発職員も云々と書きましたが、彼らは責任をもって物事にあたっていると思いますよ。

 

「原発の作業員はともかく、政府はどうかな…

 

確かに、政府のゴタゴタ感は否めませんね。ただ、これは別に擁護という訳ではありませんが、原発事故の収束活動にしても、事件は現場で起きているのであって、政府のある会議室で起きている訳ではないのです。
実動部隊は現場にいる以上、それに比べて鈍い感じがするのは、避けようが無いとも思います。そして、その感じに苛立っているのは、政府自身も同じでしょう。
個人的には、評価されないことをしている時こそ、評価に値すると思っています。

 

 

できることを考え、できることから始める。
私人であってもそうありたいものですね。

 

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番組戦略課

 

「CMの後もまだまだ続く」が続かない理由
http://news.nicovideo.jp/watch/nw129691

 

 

だったら、ザッピングを前提とした構成にしてしまうという発想はどうでしょう。

 

「ザッピングを前提?

 

その説明をする前に、くだんの記事を紹介掲載している「ニコニコ動画」について考えてみます。

 

ニコニコ動画(ドワンゴ他のグループ会社)がインターネットTV局として番組制作を行い、放送しているのはご存知の方も多いと思います。
ニコニコ動画の「放送」にはチャンネルという概念はありませんが、インターネット動画サイトに於けるザッピングとはつまり他のコンテンツに切り替える、アクセスし直すといった事に相当しますね。
動画サイトの場合、例えばニコニコ動画ならばニコニコ動画内の、YouTubeならばYouTube内の、他のコンテンツの紹介記事を随時表示する仕組みがあり、ザッピングを行っても結局は同一運営内で移動するかたちとなります。ここがテレビのチャンネル切り替えとは異なる点です。
テレビのチャンネルは、概ね1チャンネル1局(※)ですから、チャンネルを変えられてしまうという事は他局に視聴者が移ってしまうという意味になり、コンテンツを切り替えても同じサイト内であるインターネット動画サイトとは違うわけです。

 

※1局という言葉の定義にもよりますが、
  電波法に於ける免許という観点から言えば
  同一放送事業者であってもチャンネル(周波数)が異なれば
  他の電波局という解釈になります。
  チャンネルごと、放送の仕組みごとに
  コールサイン(呼出符合)が異なるのはこの為です。

 

さて、通常のテレビ放送の話に戻して。
周知の通り、今年で地上デジタル放送に完全移行(一部地域を除く)しました。
地上デジタル放送の意義の一つとして、多チャンネル放送という仕組みがあります。これは1つのチャンネルを最大3チャンネルに分割し、1局で複数の放送を流すことができるというものです。

 

しかし、これで理論上の放送枠は増やせても、番組を作るためにはそれだけのコストが掛かります。
つまり3チャンネル分をすべて使うとなれば、結局単純に計算して3倍のコストが掛かってしまうわけで、これは放送事業者の負担が大きくなります。
多チャンネル放送があまり普及しない理由のひとつには、こうした事情があります。(※)

 

※ちなみに技術的な問題として、
  1つのチャンネルを3チャンネル分として使うわけですから
  それだけ画質や音声のクォリティは低下します。
  ただ、そうした品質問題を理由に足踏みをしている事業者は
  恐らくそれほどいないのではないかと見ています。

 

ところでアナログ放送時代にも、疑似的な多チャンネル放送を行っていました。
副音声といい、通常は日本語と外国語(多くは英語)による二ヶ国語放送として使われていましたが、これは必ずしも同時通訳や外語吹き替えを意図した仕様ではなく、飽く迄も「複数の異なる音声を扱うための仕組み」に過ぎません。
そこで、例えば野球の実況中継をメイン音声サブ音声で異なるアナウンサーや司会者で行うとか、バラエティ番組のサブ音声で舞台裏を流すといった企画がありました。

 

副音声自体は地デジにも継承されていますから、同様の番組企画は作れますし、実際行われているでしょう。
これを音声だけではなく、映像も併せて行えるのが地デジの多チャンネルと考えます。

 

 

DVD-VIDEOで採用されていた規格の中に「アングル」というものがあります。
ある1ヶ所からのカメラではなく、複数の視点によるザッピングをユーザの手によるインタラクティブな切り替えを想定した仕様でしたが、残念ながらこの仕様が採用されたDVDソフトは殆どありません。
DVDプレイヤーのリモコンにある「アングル」ボタンを一度も押したことの無いという方は、かなりの数にのぼると思います。

 

DVDソフト製作者から見れば、わざわざ他の視点から撮影したムービーを収録するほどのメリットはありません。
仮に2ヶ所から撮影した個別のムービーを収録したとして、それで商品価値が2倍になるのか…と言えば、恐らくそんなことは無いでしょう。メインの視点だけを観て、サブの視点を一度も観ないというユーザの方が多いかもしれませんし、そんなコストの悪いことをわざわざしようというメーカーはまず現れません。

 

ですが、これがテレビとなると話は違ってきます。
もともと一般にテレビ番組は複数のカメラを切り替えながら復調編集して放送されます。これを逆手に取り、もともと1つの番組であるはずものを、同時進行の複数のコンテンツにしてしまう…というのもアリではないかと思うのです。
多チャンネルを使うのでノーコストという訳にはいきませんが、その仕組みが使えるわけですし、別個の番組を作ることに比べて遥かに安くつきます。もともと番組の副産物でもありますから、それの有効利用と解釈することもできます。

 

「でも、そんなのは
 すぐに飽きられるでしょ

 

飽きられますね。
目新しさがあるのは最初のときだけ。ですからそれだけで良いとは思っていませんが、この辺りを起点として企画を考えていけたならばどうだろうと言うのです。

 

 

それに、「他の視点からの撮影」に限ることは無いのです。
例えばニュース番組ならば、ひじょうに重大かつ関心度の高い記事は延々と放送されます。震災のニュースなどがその典型例ですね。
ところがこうしたニュースは、同じ内容を繰り返しているだけの場合が多いです。これを以て「いいかげん他のニュースをやれ」という人もいますが、しかし緊急性の高い報道内容の場合はそうはいきません。

 

そのような時、多チャンネルという仕組みは有効に使える気がします。
3チャンネル分割を行った場合、常にそのうちのいずれかのチャンネルでは重要性のあるニュースを扱うようにし、それ以外のニュースを交互に流すという編成にする。
地デジ最大の特徴であるデジタル連動放送を用いて、どのサブチャンネルで何を放送しているかを表示しつつ、当該ニュースの必要ある人に対してザッピングを誘導する

 

まさにザッピングを前提とした番組構成です。

 

 

デジタル放送の仕組みとは別に、番組の編成自体を考えるというのもありますね。
上記の記事ではブリッジについても触れていますが、いっそのこと番組自体を分割してしまうというのもアリではないかと考えます。

 

「番組自体を分割?

 

たとえば、ある1時間枠のバラエティ番組があったとして。
この番組は最初から最後まで同じことをしているわけでは無いでしょう。タレントが入れ替わるかもしれないし、その中で催されるイベントも複数あるに違いありません。
だったら、そのコーナーごとに1番組という概念にしてしまう。幸い地デジ時代になったので5分単位の番組表が組み込めるため、必ずしも新聞のテレビ欄レイアウトを考慮する必要はありません。番組自体は1時間枠で新聞には載せておき、デジタル番組表ではコーナーごとに分割しておけば良いのです。
スポンサーも1時間枠まるまるで取るも、1コーナー単位で取るも良し。営業的にもメニューの広がる気がします。

 

「いわゆる24時間テレビ的な作りだね

 

そう、それをもっとミクロ単位で編成するのです。
他のチャンネルに切り替えさせない、という考えから、他のチャンネルから切り替えさせてやる、という発想に変える
「CMの後もまだまだ続くよ」ではなく、「午後5時25分、重大発表が!」のように番組表を作り、この時間だけは何としても視聴率を総取りする。
ここで掴みが出来れば、そのままチャンネルを変えずに観続ける人もでてくるかもしれません。

 

もっとも、この案にも問題はあって、視聴率は激しく上下する可能性がでてきます。
ただ、さきの多チャンネルを使った例と同様に、これを起点として考えていけたならば、テレビはもっと面白くなれると思うのです。

 

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