タルティーン司令部戦略課室長日誌

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2014年11月20日の記事

6才のボクが、大人になるまで。

久々の映画ブログ
いえ、毎月どころか毎週のように映画は観続けておりまして、新作だけでも劇場鑑賞本数があと作品で90に届くのですが、筆が遠のいておりました。

 

さて、そんな久々に取り上げる映画は昨日観て参りました才のボクが、大人になるまで。』です。

 

6才のボクが、大人になるまで。
http://6sainoboku.jp/

 

物語自体は完全にフィクションなのですが、同一キャストで12年間掛けて撮影を続け完成させた映画で、つまり劇中はもちろん現実に於いても主人公が大人になるまでを追っている作品になります。

 

この、長い年月を、実際のキャストが成長するのを追っていくというのも然ることながら、私が感嘆したのはその12年間、クォリティが変わらないという点です。
キャストにしてもスタッフにしても、時と共に技術を身に付けますし、従ってレベルも上がります。センスに変化が現れることだってあるでしょう。12年間ということは主人公メイソンが歳から始まり18歳の誕生日、そして高校を卒業して大学入学を経るまで。この主人公を演じているエラー・コルトレーンは実際には歳から役を始めている訳ですが、いずれにしても19歳に到るまでですから、普通に考えれば演技力的にも、そこから醸し出される雰囲気的にも違いが現れて当然です。
おまけに撮影や機材等の技術面にしても、大きく様変わりするだけの時間です。実際、劇中に登場する家電等には変化が見られます。
にも関わらず、映画作品という観点から観たとき、役者の演技も映像的クォリティも、まったく何の違和感も見られない。逆に言えば12年前の撮影開始という時点で既にそれだけの完成されたスタイルを築き上げていたことにもなる訳であり、相当に確立したビジョンと心構えが無ければ到底実現できない企画だったことが判ります。

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

最初に言ってしまいますが、本作にはストーリーはあるものの、強いエンターテインメント性を期待する作品ではありません。何か大きな事件が起きる訳でもなければ、主人公が何かを学んだり身に付けていったりというものが如実に現れていくというものでもありません。当たり前の風景を当たり前に描いているだけです。

 

「ということは、
 何でもないふつーの家庭を
 ただ描いているだけなの?」

 

うーん…、そこまで平々凡々というか平和な家庭でもないのですが、その起きた事件によって起承転結的に伏線帰結があるという意味を持たない、ということになるでしょうか。
主人公メイソン父親はちょっと訳ありでして、まぁ端的に言えばロマンだけを追い求めているオトナになりきれていない男。一応生活費はあるっぽいので何らかの仕事はしているのでしょうが、定職らしい仕事をしている雰囲気は無く、ミュージシャンになるのが夢。当然の如く、妻のオリヴィアとはしょっちゅう喧嘩をしており、結果、破局を迎えてしまう。
ただ、こんなロクデナシでもロマンを追っている所以か、熱意だけは持っていて、音楽を志す故か人を楽しませようという心は人一倍強い。そんなところが子ども達には受け入れられており、メイソンや姉のサマンサには人気のパパでもあったりします。オリヴィアとしては複雑な心境ですし、そんな子ども達の気持ちに対して邪険になるほど冷淡にもなれず、この後も翻弄されてされ続ける訳です。

 

で、大学の恩師であるウェルブロック教授と再婚し、新たな家族生活を営むことになるものの、大学ではいい先生に見えたものが、実際に夫婦関係になってみるとこれが呑んだくれで横暴オリヴィアは勿論、子どもに対しても、あれやれこれやれと命令し、思い通りにならないと癇癪を起こして当り散らす。そんなこんなで逃げるようにして、またしても別れることに

 

「それだけで
 じゅうぶんに事件だと思うけれども…」

 

ですが、だからと言ってこのトラブルが特に解決するようなことも無ければ、こうした家庭環境からメイソンサマンサが何かの影響を受けたというようなことが明確なかたちで描かれることもありません。無論、彼らはこうした環境を経て得たもの、失ったものがあるのも事実でしょうし、それらは隠喩めいたかたちで現れてはいます。しかし、伏線帰結的に描かれることはほとんど無く、そうした意味で「当たり前の風景を当たり前に描いているだけ」と書いたのです。

 

「じゃあ、
 本当にただ成長過程があって、
 それでおしまいなの?」

 

うう〜ん…、それもまた違うんですよねぇ…。

 

終盤で、元の父親メイソンの会話シーンがあり、その話は取り留めもないものへとなっていきます。
そこでメイソン「話の要点は?」と訊きますが、彼は「要点なんか」と答えます。

 

本作の解釈は観る人によって異なるとは思いますが、私はこの会話のやりとりを多少メタ的に捉えました。即ち「この映画の要点って何なのさ?」という問いに対して「じゃあお前の生きてきた道に要点などというものがあるのか?」と逆に問われているのではないか、と。
毎日の日記を付けている人もいるでしょうし、自伝を著している人もいます。そうでなくとも履歴書だの経歴書だのを書くことはあります。自伝ならば多少の伏線帰結を記すこともあるでしょうし、面接に行けば経歴書に目を通した面接官が「それで何をされてきましたか?」と訊くこともあるでしょう。
しかし、それでも「要点」などというものがある筈もないのです。

 

さらにメイソンは大学のルームメイトと「一瞬」について話します。曰く「“一瞬”は終わらない。すべての時間が繋がっており、“一瞬”とは常に“今ある時間”のことなのだ」と。

 

これは言わば本作の「総論」のようなものでしょう。

「要点」ではなく、「総論」。

 

本作の主人公は少年メイソンではありますが、彼だけではなく父も含めた家族全員が成長してゆきます
映画の冒頭、メイソン歳のとき、姉のサマンサはむしろ彼よりもガキっぽいし、は前述のようにコドモっぽい。母オリヴィアは頑張ってはいるものの、男運の悪さもあってか空回りばかり。メイソンがそんな家庭環境から様々な影響を受けていることに宜しく、周囲もメイソンから得ているものがあり、つまり本作が描くのはメイソン以外も含めたそれぞれの人生

 

では「人生」とは何か。
答えは色々あるのだとは思いますが、連続した一瞬という時間の中にあるそのすべて、というものが本作に見出す解なのではないか。
翻って、本作は劇中だけではなく現実にも(スタッフさえ含めて)12年間を経た時間が収められています。フィルムのコマコマは文字通りの「一瞬」ですが、これが連なった姿が集合名詞的意味でのフィルムになり、「映画」という姿を成す。この「映画」は劇中の(架空の)人物の日記であり、かつ、(スタッフも含めて)それを演じた実際のキャストの記録でもある。そして、そこに描かれているもの、それが人生模様人生劇

 

本作のタイトルは才のボクが、大人になるまで。(原題:Boyhood)』ではありますが、もしかしたら監督は「我々全員が、成長するまで。」と言いたかったのかもしれない。そんなふうに思いました。

 

 

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