タルティーン司令部戦略課室長日誌

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2012年06月04日の記事

ファイナル・ジャッジメント

 

ファイナル・ジャッジメント』を観てきました。

 

ファイナル・ジャッジメント
http://www.fj2012.com/

 

「また何だってそんな映画を…

 

映像作品的にちょっと興味があったのです。

 

公開から間もないということもあってか、結構な観客の入りで少し驚きました。
幸福の科学の信者さんなのか、純粋に映画作品として観に来たのか、ひやかし目的なのか、少々気になりましたが、まぁそれは置いておきまして。

 

 

いきなり総評ですが、面白くありませんでした。

 

「つまらない駄作だということ?

 

つまらなくて退屈だ…とまでは思わないのですが、どうにも面白さが感じられませんでした。

 

別に、幸福の科学宗教映画にケチを付けるつもりは毛頭無く、飽く迄も映画作品として評価を出しているのですが、面白く感じられないその最大理由はリアリティが感じられないという点に尽きます
宗教映画としてであれ、SF映画としてであれ、現実離れした設定自体は問題では無いのです。荒唐無稽な物語なんていくらでもある訳でして、それらが非現実的だからといって面白くないとは必ずしも思いません。
ただ、リアリティが無い。ここで言う「リアリティ」とは、物語のバックグラウンドのことを意図しています。例えば人物の生い立ちであるとか、世界観の細かな設定であるとか、なぜそうしたことになっているのかという根拠や裏付けであるとか。

 

本作はオウラン国が日本を占領、植民地化するところから話が始まり、主人公・鷲尾正悟が救世主となってその世界を自由へと解放するまでを描いています。
オウラン国は劇中の架空国家ですし、敢えて明確にどの辺りにある国であるかといった設定までは設ける必要も無いでしょう。が、何故にオウラン国が日本を占領するに到るのか、その目的や過程が何も無い。オウラン国が日本を乗っ取ることで何か得をしているのか、その辺りがまったく見えない。故にリアリティが感じられない。

 

もっとも、映像作品の場合、その映像的な迫力を以って観る者にガンガン攻め立てて、勢いだけで訴えかけるという手法もあります。この場合、細かなバックグラウンドは設定せずとも、その見た目のインパクトで現実味を与えてしまうということになりますが、残念ながら本作にはそこまでの迫力もありません。
結局、何故にオウラン国が日本を占領したのか、おざなりになったまま物語が進んでしまい、観ている者には舞台背景が理解できず、その非現実さばかりが目立ってしまいます。

 

 

そうした物語のバックグラウンドの未設定、無定義として決定的であるのが「矛盾した理論」と「右翼なき左翼」になります。
前者に関して言えば、恐らくは宗教という教えの中にあっては矛盾しないのでしょうが、当該宗教の枠の外にいる人間にとっては明らかな矛盾として映るものです。曰く、固定概念にとらわれない自己の意識こそが宗教にある、らしいのですが、神の教えというものが既に固定概念であることには全く触れていません。これを説く正悟の言葉には、まるで共感を抱くことができません。
また後者は、社会学に多少でも理解があれば判ることなのですが、「左翼」という言葉の定義はありません。「右翼」の対義語が「左翼」であり、「右翼」とは「保守」を指します。ですが、何を以って保守と成すかは立場によって異なり、これが「右翼」という言葉を複雑化させています。「左翼」とは、かような言葉の対義語ですから、当然そのままでは定義がありません。
つまり、「左翼」という言葉を使う以上、「右翼」を先に定義しなくてはならない。が、本作には左翼を批判する台詞はあるものの、右翼を定義する場面がありません

 

そして、定義のない右翼を支持しながらも、イデオロギーという概念を否定する。これは完全に矛盾しています。何故ならば、保守というものもイデオロギーによるものだからです。
だだでさえ設定がしっかりしていない上に、全体が矛盾した理論を持っているとなると、これはもう観ている者としては置いてけぼりをくらっている状態になります。これでは面白くならないのは無理もありません。

 

 

加えてご都合主義的な展開が追い打ちを掛けています。
ネタバレになりますが、終盤、処刑をされるはずの正悟が、その執行人に逃亡を促されます。これが余りにも唐突過ぎるため、面白く無さにとどめをさしているように感じてなりませんでした。
ラストに到っては、オウラン国が日本を占領した過程がすっ飛ばされていることに宜しく、正悟によって世界が解放される過程もまたすっ飛ばされ、字幕だけでエピローグが語られる始末。1980年代のファミコンゲームでは無いのですし、こういう放っぽり出したエンディングの作りは無いだろうと言わざるを得ません。

 

 

「ところでこの映画って、
 いわき市でロケ撮影が行われたみたいだけれど、
 これを渋谷にする映像効果ってCGなの?

 

いや、写真や動画です。要するに二重。これがひどくチャチです。
カメラがパンしても背景のパースが変わらない。もとが写真ですから平坦なんですね。しかも画質が粗い
オウラン領化した後の渋谷はさらにひどい。写真をコラージュしたものを背景にしているのですから、これはもう言わずもがな。
何でここに、もう少し予算と手間を入れなかったのか、どうにも理解しがたいです。

 

「CGは使っていないんだ

 

いや、結構気合の入ったCGも使っています。
物語の中盤に、正悟が森で瞑想をし、悟りを開く場面があるのですが、ここで悪魔が登場する。この悪魔と、これを祓う破邪のシーン、そしてその後に続く正悟の覚醒はなかなかお金の掛かっていそうな映像に仕上がっています。
逆に言うと、ここに予算をつぎ込み過ぎて渋谷がチャチになったのではと思わせるくらいです。

 

でもですね、自分も3DCGを作るので言えるのですが、大して予算を掛けずとも、そこそこのクオリティで魅せることは出来るわけでして、ぺたんこな写真背景よりはマシなものは作れたのではないかと思わずにはいられないのですよね。
設定にリアリティが無い。物語にリアリティが無い。そして映像的にもリアリティが無いと来たら、映画作品として観るべきところが無くなってしまうでしょ。

 

 

宗教映画でもいいと思うし、SFでもいいと思います。
でも、映画作品を銘打つならばもう少しちゃんと作り込んで欲しかった。これは予算云々の問題ではなく、構成的、演出的、編集的な技量の問題だと思うんですよね。
実写ではなくアニメで出すべき映画だったかもしれません。アニメーションならば、設定や展開に於ける多少の粗は気にならなくなります。
或いは、映画館ではなく幸福の科学の寺院でインディーズ上映に留める作品だったかもしれません。信者の方をターゲット層とするならば、評価はそこそこ押さえられた気もします。

 

 

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