タルティーン司令部戦略課室長日誌

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季節はずれってレベルじゃねぇぞ!

これをどうしろと…。

 

「もみの木」を1コ獲得です!

 

 

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インターステラー

『インターステラー』(吹替)を観てきました。

 

 

インターステラー
http://wwws.warnerbros.co.jp/interstellar/

 

劇中で明確な年代は明らかにされませんが、数十年後から百数十年後を舞台としたSFになります。
地球の気候が次第に変化し、食物や酸素の減少を招き、宇宙へと植民することが喫緊課題となりつつある時代。しかし前述のように多くの市民にとっては宇宙開拓よりも食料のほうが重大。
主人公のクーパーは、かつてはNASAの宇宙飛行士であり、紆余曲折あって植民星を探すためのチームへと加わることとなり…、というものが大まかなストーリーとなります。

 

ただ、SFとは書きましたが、本作を観た人の多くは、SF映画というものの先入観を大きく覆されることでしょう。何故ならば、ちっとも未来っぽくないからです。服装や家財道具類、クルマ、その他のインフラ。どこを見ても今と変わらないか、むしろややレトロな感じさえ受けるものだからです。
まずこの点を良しとするか悪しとするか、評価が分かれそうな気がします。

 

私は概ね良い評価に傾いています。
過去のSF作品を観ると、時代とともに非現実的に見えたり、明らかに滑稽な描写があるものです。最も如実な例としてはコンピュータに関する描写。例えば197080年代の映画に登場するコンピュータはほぼ間違いなくCUI(文字だけで情報を表示するインターフェース)ですし、グラフィックもワイヤーフレームによるものがせいぜい。
しかし現実の21世紀では、一般家庭のパソコンやゲーム機レベルであってもGUI(グラフィカルに情報を表示するインターフェース)は当たり前。リアルなDCGも可能です。宇宙船に搭載するコンピュータがこれに劣る性能ということは、一般的な認識として有り得ないでしょう。
当時の技術として、かような表現が通常のコンピュータレベルで困難であったのも事実ですが、そもそも一般認識としてリアルなDCGによるコンピュータモニタなどというものが、かえって嘘くさく感じられたという背景もあります。要するに未来を描くSFとは、かような時代とともに現実とのズレが生じてしまう部分があり、避けられません。

 

思い切って“ありがちな未来感”を排除し、今とあまり変わらない情景に留めるほうが、かえってリアリティを生むこともある。多くのSF作品に触れていると、そのように思えてきます。恐らくは本作の監督、クリストファー・ノーランもそうした結論に到ったのかもしれません。

 

 

SF世界観としても異色ですが、それ以外にも全体として描き方、構成、設定、ストーリー、その他諸々、その多くが風変わりです。エンターテインメント性は高いのですが、はっきり言って万人向けとは言い難く、上級者向け作品と思ってそう間違いはないと思います。少なくとも映画慣れ、ないし、SF慣れしていないと、最後まで観ても何のことやら判らないかもしれません。
結構難解な部類に入る映画作品です。

 

ですが、前述のように、映画ファンであれば十分に楽しめる筈だと思います。多くの、既存の作品から影響を受けているであろうシーンが色々と登場しますので、それらのモティーフに気付けるならば、きっと充実した時間を過ごせるでしょう。

 

 

以下、他作品にも触れてネタバレを含みます

 

 

哲学的なSF映画作品と言えば2001年宇宙の旅』(1968年、スタンリー・キューブリック監督)を思い浮かべる人は多いと思いますが、本作もその影響を受けていると思われる場面があらわれます。
ですが、個人的にはチェコのテレビ映画『Nesmluvena setkání』(1994年、イレナ・パヴラスコヴァ監督)の要素を強く感じました。

 

何よりも、主人公たちを呼び寄せる「彼ら」と呼ばれる存在が必ずしも明白にならない点。これは『Nesmluvena setkání』そのまんまです。本作のアメリアの雰囲気が、どことなく『Nesmluvena setkání』マイカに似ていることは、私のその印象によく拍車を掛けるものとなっていました。

 

 

左、『インターステラー』 のアメリア / 右、『Nesmluvena setkání』のマイカ

 

冒頭の、何やら不可解な現象が相次いで発生するという点も、『Nesmluvena setkání』に見られるモティーフです。
『Nesmluvena setkání』では植民候補星である惑星マルカで不思議な事件が相次いで起き、やがて、そもそも自分たちがその星に来たこと自体、“彼ら”の力によって招かれたのだということに気付きます。

 

『Nesmluvena setkání』に於ける“彼ら”の正体は、いわば惑星マルカの意思とも呼べる存在でした。
『インターステラー』では遠回し的に自らが呼んでいたという帰結の仕方をしていますが、しかしそれですべてが納得のできる解決にはなっておらず、なお(劇中の時制に於ける)今なお人智を越えた何者かの力が及んでいる雰囲気を残しています。

 

 

『インターステラー』ラザロ計画には嘘が含まれており、また、マンは孤独な調査ゆえに心を病んでいたとは言え、クーパー達を罠にはめて地球に帰ろうとしました。
このモティーフに、どことなく初代『エイリアン』(1979年、リドリー・スコット監督)のアッシュを感じる方もいる気はしますが、私はここでも矢張り『Nesmluvena setkání』エヴゼンを髣髴します。

 

『エイリアン』アッシュは、その正体はアンドロイドであり、宇宙貨物船の運輸という嘘の裏でエイリアンを捕獲して帰還するという特命を受けていました。この任務遂行のためには手段を選ばず、乗組員の安全は二の次で行動し、そのために被害を拡大させていくことになりました。
『Nesmluvena setkání』エヴゼンは学術的好奇心にかられ、そこで遭遇した野生児ロビーが死ぬであろうことを理解しながらも、惑星マルカの研究をしようとし、同乗クルーだけでなく他船や地球の局員さえも巻き込んで誑かしました。

 

 

調査記録が消されていたり、結局は植民できるような星ではなかったりとか、その理由や伏線は異なるとはいえ、個々のモティーフには類似性を幾つも感じました。

 

 

ところでマーフィーの部屋に現れる幽霊の元ネタって、やはり『ウィザードリィ』ですよね。
その名も、そんまんまMurphy's Ghost。特定の場所にしか現れない上、経験値の塊。

 


 

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6才のボクが、大人になるまで。

久々の映画ブログ
いえ、毎月どころか毎週のように映画は観続けておりまして、新作だけでも劇場鑑賞本数があと作品で90に届くのですが、筆が遠のいておりました。

 

さて、そんな久々に取り上げる映画は昨日観て参りました才のボクが、大人になるまで。』です。

 

6才のボクが、大人になるまで。
http://6sainoboku.jp/

 

物語自体は完全にフィクションなのですが、同一キャストで12年間掛けて撮影を続け完成させた映画で、つまり劇中はもちろん現実に於いても主人公が大人になるまでを追っている作品になります。

 

この、長い年月を、実際のキャストが成長するのを追っていくというのも然ることながら、私が感嘆したのはその12年間、クォリティが変わらないという点です。
キャストにしてもスタッフにしても、時と共に技術を身に付けますし、従ってレベルも上がります。センスに変化が現れることだってあるでしょう。12年間ということは主人公メイソンが歳から始まり18歳の誕生日、そして高校を卒業して大学入学を経るまで。この主人公を演じているエラー・コルトレーンは実際には歳から役を始めている訳ですが、いずれにしても19歳に到るまでですから、普通に考えれば演技力的にも、そこから醸し出される雰囲気的にも違いが現れて当然です。
おまけに撮影や機材等の技術面にしても、大きく様変わりするだけの時間です。実際、劇中に登場する家電等には変化が見られます。
にも関わらず、映画作品という観点から観たとき、役者の演技も映像的クォリティも、まったく何の違和感も見られない。逆に言えば12年前の撮影開始という時点で既にそれだけの完成されたスタイルを築き上げていたことにもなる訳であり、相当に確立したビジョンと心構えが無ければ到底実現できない企画だったことが判ります。

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

最初に言ってしまいますが、本作にはストーリーはあるものの、強いエンターテインメント性を期待する作品ではありません。何か大きな事件が起きる訳でもなければ、主人公が何かを学んだり身に付けていったりというものが如実に現れていくというものでもありません。当たり前の風景を当たり前に描いているだけです。

 

「ということは、
 何でもないふつーの家庭を
 ただ描いているだけなの?」

 

うーん…、そこまで平々凡々というか平和な家庭でもないのですが、その起きた事件によって起承転結的に伏線帰結があるという意味を持たない、ということになるでしょうか。
主人公メイソン父親はちょっと訳ありでして、まぁ端的に言えばロマンだけを追い求めているオトナになりきれていない男。一応生活費はあるっぽいので何らかの仕事はしているのでしょうが、定職らしい仕事をしている雰囲気は無く、ミュージシャンになるのが夢。当然の如く、妻のオリヴィアとはしょっちゅう喧嘩をしており、結果、破局を迎えてしまう。
ただ、こんなロクデナシでもロマンを追っている所以か、熱意だけは持っていて、音楽を志す故か人を楽しませようという心は人一倍強い。そんなところが子ども達には受け入れられており、メイソンや姉のサマンサには人気のパパでもあったりします。オリヴィアとしては複雑な心境ですし、そんな子ども達の気持ちに対して邪険になるほど冷淡にもなれず、この後も翻弄されてされ続ける訳です。

 

で、大学の恩師であるウェルブロック教授と再婚し、新たな家族生活を営むことになるものの、大学ではいい先生に見えたものが、実際に夫婦関係になってみるとこれが呑んだくれで横暴オリヴィアは勿論、子どもに対しても、あれやれこれやれと命令し、思い通りにならないと癇癪を起こして当り散らす。そんなこんなで逃げるようにして、またしても別れることに

 

「それだけで
 じゅうぶんに事件だと思うけれども…」

 

ですが、だからと言ってこのトラブルが特に解決するようなことも無ければ、こうした家庭環境からメイソンサマンサが何かの影響を受けたというようなことが明確なかたちで描かれることもありません。無論、彼らはこうした環境を経て得たもの、失ったものがあるのも事実でしょうし、それらは隠喩めいたかたちで現れてはいます。しかし、伏線帰結的に描かれることはほとんど無く、そうした意味で「当たり前の風景を当たり前に描いているだけ」と書いたのです。

 

「じゃあ、
 本当にただ成長過程があって、
 それでおしまいなの?」

 

うう〜ん…、それもまた違うんですよねぇ…。

 

終盤で、元の父親メイソンの会話シーンがあり、その話は取り留めもないものへとなっていきます。
そこでメイソン「話の要点は?」と訊きますが、彼は「要点なんか」と答えます。

 

本作の解釈は観る人によって異なるとは思いますが、私はこの会話のやりとりを多少メタ的に捉えました。即ち「この映画の要点って何なのさ?」という問いに対して「じゃあお前の生きてきた道に要点などというものがあるのか?」と逆に問われているのではないか、と。
毎日の日記を付けている人もいるでしょうし、自伝を著している人もいます。そうでなくとも履歴書だの経歴書だのを書くことはあります。自伝ならば多少の伏線帰結を記すこともあるでしょうし、面接に行けば経歴書に目を通した面接官が「それで何をされてきましたか?」と訊くこともあるでしょう。
しかし、それでも「要点」などというものがある筈もないのです。

 

さらにメイソンは大学のルームメイトと「一瞬」について話します。曰く「“一瞬”は終わらない。すべての時間が繋がっており、“一瞬”とは常に“今ある時間”のことなのだ」と。

 

これは言わば本作の「総論」のようなものでしょう。

「要点」ではなく、「総論」。

 

本作の主人公は少年メイソンではありますが、彼だけではなく父も含めた家族全員が成長してゆきます
映画の冒頭、メイソン歳のとき、姉のサマンサはむしろ彼よりもガキっぽいし、は前述のようにコドモっぽい。母オリヴィアは頑張ってはいるものの、男運の悪さもあってか空回りばかり。メイソンがそんな家庭環境から様々な影響を受けていることに宜しく、周囲もメイソンから得ているものがあり、つまり本作が描くのはメイソン以外も含めたそれぞれの人生

 

では「人生」とは何か。
答えは色々あるのだとは思いますが、連続した一瞬という時間の中にあるそのすべて、というものが本作に見出す解なのではないか。
翻って、本作は劇中だけではなく現実にも(スタッフさえ含めて)12年間を経た時間が収められています。フィルムのコマコマは文字通りの「一瞬」ですが、これが連なった姿が集合名詞的意味でのフィルムになり、「映画」という姿を成す。この「映画」は劇中の(架空の)人物の日記であり、かつ、(スタッフも含めて)それを演じた実際のキャストの記録でもある。そして、そこに描かれているもの、それが人生模様人生劇

 

本作のタイトルは才のボクが、大人になるまで。(原題:Boyhood)』ではありますが、もしかしたら監督は「我々全員が、成長するまで。」と言いたかったのかもしれない。そんなふうに思いました。

 

 

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惨状と、やらせと、

まずは次のツイートと動画をご覧頂きます。

 

https://twitter.com/ArabicBest/status/532169113473675265

 

 【日本語訳】
   人を魅了するような強い影響を与える場面が大きな賞賛を得た。
   シリアにて銃撃の中、少年が二度も撃たれながら妹を救い出したのである!

 

シリア! 銃撃戦の中で女の子を救う英雄的少年。とくとご覧あれ!
https://www.youtube.com/watch?v=cceu478rN_c

 

 

なお、動画には衝撃的と思われる方もおられるかもしれない内容を含んでいるので、視聴には予めご了承下さい。

 

 

銃撃戦の中、建物から男性が逃げ出してくる。

 

カメラを左に向けると、撃たれたらしき少年が倒れていおり、機会を窺い起き上がる。

 

少年は走り出すが銃撃を受ける。

 

崩れる少年。

 

それでもなお起き上がり、自動車へと向かう。

 

少女を救い出し、手を引いて走り出す。

 

 

この動画はシリア中東を中心にネット上で拡散し、私も知っておりました。

 

 

さて、最近、次のようなツイートがありました。

 

https://twitter.com/JH1Sy/status/533699062122295296

 

 【日本語訳】
   ノルウェーが制作した「やらせ」
   シリアの惨状を世界に向けて発信するため、数か月前に発表された。
   しかしこの作られた映像のために当該局の信頼は失墜したと言える。

 

     これらは虚偽で、この子は生きている、ということですか?

 

       我々にとって、こうしたことが現実に起き、

       また起きうるということは十分過ぎるくらい判っていることです。
       しかし、やらせの事実は事実として言わねばならないと私は考えます。
       何故ならば、こうした虚像が現に悪用されているからです。

 

     なるほど、くだんの動画がやらせであり、嘘であるのは間違いがなく、

     それが正当では無い使われ方をしていると。
     あなたのお考え、理解できます。

 

 

私としての裏付け確認は取れていないのですが、色々な話を勘案するに、どうやら「やらせ」疑惑は実際にあるようです。
そしてこれには、ひどく残念に思いました。

 

否、この動画中の“事件”が無かったことそれ自体は、誤解を怖れずに言えば喜ばしいことなのですが、このような「やらせ」によって「シリアの惨状を世界に向けて発信」したということに、強く失望したのです。
何故ならば、こうしたことがあった以上、今後は(或いは今以上に)疑念の目を以て向けられると思うからです。

 

くだんのツイートでは「ノルウェー」と名指ししていますが、この辺りについて特定の機関や個人を私は把握していません。「ノルウェー」というもの自体、正しいのかどうか判りません。
しかし、「やらせ」疑惑が事実であるとすれば、その捏造を行った者はとんでもないことをしたものだと思わずにはいられません。

 

 

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零燐嘩のgdgd放送局 OP用ジングル

ハン友さんのニコニコ生放送用に作ったOP用ジングル
「物語」シリーズがお好きなようでしたので『傾物語』の「happy bite」からサビの部分を抜き出してアレンジです。

 

使用ソフトはMuseScoreLMMS
LMMS無償音楽ソフトの中では最高の機能を持っていると思っています。

 

 

大昔、NEC PC-9801(EPSON PC-286)時代にローランドミュージ郎Jr.を使っていたこともあって、楽譜入力に慣れているため、シーケンサは基本、楽譜入力で行っています
ざっくりと音符と音色指定を済ませたらMIDIファイルにして吐かせてLMMSに持っていき、適当にいじってやります。

 

 

10小節、20秒ほどの簡単なジングルです。

ベースラインはいかにもシオンらしいアレンジですが、オケをシンセストリングスででっちあげるとか中途半端な感じも見え見えだったり…。

 

 

 

 

 

 

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